幽けき光の星よ 空に在れ














男は、ふと目を覚ました。
普段の自分の寝床とは違う、漂う消毒薬の匂いの所為かとも思ったが    違う。
全身のセンサーが侵入者の存在を如実に知らせているのだ。
(職業病というやつか…あまり嬉しくも無いがね)
人の気配に敏感になりすぎている自分をやや疎んじながら、就寝時でも外さないサングラスの視界の端で、自分を目覚めさせた存在を確認する。
出来るだけ音を立てないように、と慎重に動く、頼りなげな細い影。
(来るとは思ったが…やはり、か)
嘆息して、きしみを立てないようにベッドから起き上がる。
隠密な行動は現場から離れた今も、第一線で動いていた当時とさして変わる事の無い所作でとる事が出来た。
腕が落ちていないのか、昔から素人並みの動きしか出来なかったのかは不問に処す。
幸い――月明かりに照らされながら戸棚を漁る人影は、そんなに気配には鋭く無い様で。
中条は気付かれぬまま悠々と壁際を移動する事に成功し、手探りで電気のスウィッチに手を掛けた。
「!」
ぱちん、と小気味良い音が静寂を、暗闇を切り裂く。
照らし出された人影は、あどけなさというよりはどこか危うさを抱えた青年。
「こんな真夜中に救護室訪問とは。急患でも出たかね。呉学人くん?」
「中条長官…!」
呉は、見るのも可哀想なくらい狼狽していた。手にしていた壜を落とさなかったのが不思議なくらいに。
彼の場合『扶養家族』が幼いので、突発的な発熱等に対応しなくてはいけない事もあるだろうが、今日は明らかに違う。
呉は、人には云い難い理由で薬を要しているのだろう。
何故なら、彼が漁っていた戸棚には『向精神薬・取り扱いは医局の許可を得てから』というシールが小さく、だが確かに貼ってあるのだから。
「教えておいてあげよう。薬にもよるがね、服薬自殺っていうのは結構苦しいものだよ。含んだところで嘔吐は激しく襲ってくるし、しかも即効性が無いから失敗する確率が高い」
嘔吐は薬の排出に繋がるし、じわじわと効くまで待っていれば誰かに見つかって介抱される可能性もある。ちょっと考えると簡単で手軽な死の方法に思えるが、案外間が抜けているし、失敗するというリスクも高い。
それが故に外から見れば『失敗する事が解っていながら――』と深刻さを軽んじられ、時には揶揄の対象にすらなる。
マイナス尽くしの良いトコ無しだ。
「余り賢くないやり方だ。止めた方が良い」
中条はそう云うと未だやや呆然としている呉の手から、選別された薬壜を取り上げた。
「フン…バルビツール酸系睡眠薬…しかも粉末タイプ。中々良いチョイスだ」
選別の目は確からしい。危ないところだった。もし此処に今夜自分が来なければ、彼の目的は完遂していただろう。
こんな薬は通常の取り扱いさえ危険を伴うというのに。
(確かもう前世紀中前に、製造禁止になっていた筈だが…)
恐らく誰にも使われぬまま、ずっと持ち越されて来たのだろう。
前世紀の遺物を手の中で転がしながら、明日は医局の棚や倉庫凡てを点検させようと心に固く誓う。
「後は中身の確認を外見から出来れば完璧だな。ま、そんなのは一流の薬剤師でも無理だろうが」
「ちょ…長官…どうして此処に…?」
「君は超能力を信じるかね?」
「は?」
「君が今夜現れる事を予測して、私は就業終了後からずっと此処に詰めていたんだ」
来てくれて良かった。でなければちょっと虚しくなる所だったからな、と付け加えれば、ぽかん、と呉の口が開いたままになる。
「まぁそれは冗談だが…そら、欲しいなら持っていくと良い。但しそれを呑んだ後は歯をきちんと磨く事」
「…………?」
ぽんと投げてやればほっそりした指が過たずそれを受け取り、少しおどおどしながら壜をためつ眇めつした。
そんな呉の姿を暫く堪能していたが、やがて中条は揶揄うようににやり、と笑って云ってやる。
「甘い物を食べた後のケアを怠ると虫歯になる。何せ…その壜の中身は全部ラムネ菓子だからな」
「!」
普段は穏やかで無気力な呉の瞳がはっ!と見開かれ、中条を見据えて来る。
何故。
投げかけられる声にもならない問い掛けを正面から受け止め、中条は方を竦めた。
「種明かしをしようか。なに、簡単な話だ。私は以前から君の行動をそれとなく見ていたからね」
正しく云うなら『見張っていた』になるのだが。否――『見張らされていた』の間違いか。
「今日の午後、君が図書館から禁帯出認定の薬物関連本を持ち出したのを端末履歴から知ってね。…『知』ればすぐ試したくなるのが――君達文官の常だろう」
「プライヴァシーの…侵害です」
低い、声音。威圧感を与えようとしているのならば、それは悉く失敗に終わっていた。
呉の声は震え、まるで今にも泣き出しそうに、中条には聞こえたのだから。
「私もこんな事はしたくなかったよ。君が…目を離していても大丈夫だと思えれば、そんな事する必要も無かった。だが、こうして実際君は此処に――居るだろう」
結構大変だったのだ。
事が表立ってもなんだからと医局長にも内緒で此処に忍び込んで。
百近くある壜を選別し、チョイスされるだろう物の中身を凡てラムネと入れ替えて。
禁煙指定されているからと、普段は親の仇ほど吸うパイプすら、もう三時間ほど我慢していた。
「………」
呉が、居た堪れなさげに俯く。
きゅうと噛み締められた口唇が戦慄いているのを見、かしかしと頭を掻いてずれてもいないサングラスを押し上げる。
「仔細は…話せるかね?」
些か寝心地の悪い救護室のベッドをソファ代わりに勧め、柔らかく中条が問う。
本当は、彼が死にたがっている理由など、聞かなくても解っていたのだが。
寧ろ生きている理由の方が少ないくらいかも知れない。
「………云えません…」
ようやく落とされた答えは小さく、とても小さくて夜の大気に溶けてしまいそうだった。
「君の気持ちは判る……とは云うまい」
明日になれば多分救護室長に叱られる、とわかりながらも中条はパイプに火を入れた。
煙草無しで過ごせるほど和やかな時間じゃない。
「しかし君が死んだら銀鈴くんはどうなる。君も辛い思いをしただろうが彼女も…」
「判っています!判ってるんですっ…!」
ありきたりの台詞を吐いた、と反省するよりも前に、呉が大声を上げた。
普段の所作に合わぬその激しさに若干、中条も気圧される。
「止められないんです…!私は弱い人間だから…夢を見る度、あの夜を思い出すたび、生きている事を止めてしまおうと思う気持ちが止められないんです……っ」
固く握り締められた呉の手の甲に、ぽつりと涙が落ちていった。
それを隠すようにぐい、と拳で頬が拭われる。
その僅かな瞬間に見えた手首の、幾重にも切り刻まれた傷痕。
切れそうな精神をこの現実に繋ぎとめる為の聖痕。
震える肩、しゃくりあげるか細い声。
それを聞いてようやく中条は思い出す。
目の前の彼が、自分より一回り以上も若い子供だと云う事を。
市井に生きる若者ならもしかして、まだ親の庇護下にあるかも知れない。
そんな年で、その細い双肩に普通では背負えないような重い物を背負って。
だが――そんな想いをしているのは彼一人ではない。
此処にいるもの凡てが、多かれ少なかれ同じ様な境遇にある。
『だから』彼にも強くあれ、というのでは決して無いが。
少なくともこの後ろ向きな考えを何とかしてやらねば。
いずれ、彼が選ぶのが死であったとしても。自分の畢りであったとしても。余りに辛い現実からの逃避であったとしても。
何も見ない内から凡ての可能性を否定してしまう事は相成らんと、中条は思う。
一度は前を向かせ、選択肢を増やしてやらねば。それが、『大人』としての役割だろう。
それにしても
「安心…してくれているのかね、君は」
思う端から言葉が零れた。
「…え……?」
「此処なら、自分が居なくなってしまっても銀鈴君は大丈夫だと、任せられると…安心してくれているのかね」
でなくては『死ぬ』などという選択肢は出ない筈。
自分以外の誰かに、あの大切な少女を預けられると思うからこそ、死への誘惑は呼び起こされるのではないか?
そう思うと――。
「…何と云うか…死なれてしまうのは困るが…そんな風に君に安心してもらえているなら…私は嬉しいよ」
怒って良いのか喜んで良いのか複雑な心境で、中条は僅かに瞳を細めた。
呉は――そんな風に考えが及んだ事もなかったのだろう。
唖然とした表情の中で、自問、葛藤しているのが手に取るように良く解った。
まだ此処に来てさして日が経っている訳でもない。
手負いの獣のような何処か疑心暗鬼な、けれど何処か縋りつくような瞳は完全に鳴りをひそめた訳ではないけれど。
(……もうそろそろ…時期、かな)
確かに彼の中で何かが変わり始めようとしているのだろう。
さなぎが硬い殻を破るように、雪解け水が氷の下を流れ始めるように。
それは内に閉じ込めるのではなく、外に向けて発散させるべきもの。
かさぶたは風に晒した方が治りが早いのと同じ。
それを促してやるのもまた、『上司』であり『大人』の勤めだから。
「呉くん」
中条は隣で小さくなって座っている呉を見やり、『怖い』と定評のある笑顔を出来るだけ柔らかくすると、彼にそっと告げた。
呉がゆるりと顔を上げる。
月映えの白皙、夜明けがまだ遠い事を知らせる闇に、溶ける黒曜の髪。
それを撫でる様にぽん、と手を置いて。
「君もそろそろ作戦に関わってみるかね?」

弱いだけではない瞳が、やや茫洋としながらも確かに、中条を見返していた。













■おわり■






ドミノ作戦シリーズの予告本で書いた呉サイドSSを加筆修正。二度目の修正で年齢設定の拙さにも遂に手を入れました(笑)仔細が気になる方は「光無く輝く星 煌空に瞬く」のおまけ本を参照して下さい。
呉先生のイメージは星でした。知多星だから、という訳では無く。勝手な性格付けに深くお詫びを申し上げます。

ちなみに勢い余って阿呆なおまけSSを書き下ろしております。雰囲気ぶち壊しな上に、オリキャラが出張っております。ご不快になられない自信のある方のみ、 ■こちら■ からどうぞ。


2003/01/01 re-up






目次に戻る。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送