今日も頑張る中間管理職 |
「ちゅーうじょーうくーん」 翌日、北京支部中央廊下にて底抜けに明るい何処か間延びした声に呼び止められ、中条はびくん、と背筋を伸ばした。 恐る恐る振り返れば其処に 「……やぁ、今日もご機嫌だね、ドクター」 にっこりと華のような微笑を浮かべつつ、目を怒らせているという器用な表情の、予想通りの人物が立っているのを見とめて、中条は反射的に逃げたくなる足を叱咤し、愛想笑いを返した。 「あはは、ちっともご機嫌じゃないよ」 安 道全。 中条と同期で国際警察機構に入り、役割からか周りから「ドクター」と呼ばれて親しまれている。 北京支部の医療関係を一手に取り仕切っている医師で、医局長・救護局長を兼任し、日々エキスパート達の健康に気を配ってくれる心優しき神医である。 ただ、その優しさは『健康を自ら害する人間』には決して向けられないという手厳しさもあったりして。 お陰で中条は会う度に嫌味と小言を垂れられる始末だ。 入構してからこちら、彼の『煙草に関する108の害』論を聞かない日はない程に。 「……」 「……」 朝の喧騒の中、中条は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。 やばい。 絶対にばれている。 暑い季節でも無いのに、背中を汗が伝い落ちていった。 「…中条君、どうして僕がご機嫌じゃないか、君、解るよねぇ?」 噛んで含めるような云い方には僅かばかりの優しさも無い。 細められている眼は笑っているというよりも睨みつけられているようだ。 「……済まない」 根負けしたのはいつもの如く中条だった。 がくり、と項垂れて素直に謝れば、目の前にずい、と安の手が突き付けられる。 何かを強請るように、掌を上向けにして。 「…何の真似かな?ドクター」 「消臭剤代及びクリーニング代だよ、患者をその鼻の曲がりそうなパイプの匂いが染みついたシーツや何やに寝かせる訳にはいかないでしょ」 小切手は口座が空っぽだと困るから現金にして、と安が更に失礼な事を云いつつ要求を重ねてくる。 「本当は全部取っ替えたいくらいだけど、流石にそれは勿体無いから」 逆らう事さえ思いつかず、ただ中条は大人しく云われるままの金額を財布から出し、男にしてはきれいな安の手に乗せた。 「…ひー、ふー…はい、丁度頂戴致しました。領収書、いる?」 「結構だ…」 この鼻の利く医者にバレない筈が無いと知っていながら――どうして昨夜の自分はあそこでパイプを我慢出来なかったのだろう。 返す返すも悔やまれるが、だがやってしまった事は仕方ない。 それに――それ無しでは耐えられない空気が、あの時にはあったので。 「…にしても、良くこんなに早く解ったね。確かあの後ファ●リーズしておいた筈なのに」 一応善後策は練っていたのだ。バレるにしてももう少し時間は掛かると思っていたのに。 しかしそれすらも擦りぬけるこの医者の鼻は、一体どうなっているのか不思議で仕方ない。 犬並の嗅覚と――嘲るのではなく本気でそう思った。 ところが 「ああ、それは簡単。だって僕、あそこにCCDカメラ仕掛けてあるから」 がくーっと中条は派手にずっこけた。 「なっ……なっ…」 「何赤くなってるの?心配しなくてもちゃんと音声は切ってあるから、君が彼に何を云ったかなんて全然解らないから安心して」 いや、よしんば音声が入っていなかった所で気分が良くなる訳でもない。 「プライヴァシーの侵害だぞ!幾ら何でも!」 「何云ってるんだい、公共の場でプライヴァシーもへったくれもないよ。それくらいしておかないとあの神聖なる救護室で不埒な真似をしでかす阿保共の抑制にはならないんだから」 何せ僕は『正義の医者』だからね、と胸を張る安の云い様に、頭が痛くなる。 こんな人間が仮にも警察機構に居て良いのか。 中条は天を仰いで――其処に薄ら汚れた天井しか見とめる事が出来ず、より一層沈鬱な気分に陥った。 「大体、姑息な隠蔽工作をする人間にそういう『正論』を云われたくないなぁ?」 にやり、と医者が微笑む。 「その曲がった根性、治して上げようか?ぱかっと頭を開いて、ね」 どうしてそんな事を心底楽しそうに云ってしまうのか、彼は。 訂正しよう。 最早、事は警察機構だけに留まらない。 こんな人間が、仮にも人の命を預かる医者で良いのか。 医者というのはもっと人道的で、慈悲深い存在で無くて良いのか。 しくしく、としゃがみ込んで泣き伏す中条に、安は『弱虫だねぇ、中条君は』と尚も明るい声で追い討ちを掛けて来る。 帰りたい。 支部長室でも、自室でも。 一刻も早く安の居ない処に逃げ戻りたかった。 「まぁ尤も?」 と、ぽふむと頭が撫でられ、中条は顔を上げる。 「君のその脳構造はヒッピー気取ってぶらついていた時から全っ然変わってないから?今更治そうなんて事はこの『神医』の腕をもってしても無理かも知れないけどね」 「自分で云うか?普通…」 『若気の至り』と云うに相応しい過去を引っ張り出されて、再び撃沈してしまった中条は、本格的に膝を抱えた。 「そんなに私を苛めて楽しいのかね、ドクター」 「良いじゃないか、もうじきこんな事も出来なくなるんだから♪」 「そういえばもうじきだったな…」 安は3週間後に別の支部への栄転が決まっているのである。 警察機構はその特殊な構造により、滅多に他の支部に移るという事はないのだが。 安程の医者になると、どうしてもあちらこちらからの要請が引く手あまたなのだ。 「淋しいなぁ、中条君と離れるのは」 「…突然薄気味の悪い事を云わないでくれるかね」 「君を真っ当な人間にする事を、人生における目標の一つにしてたのに」 そうだったのか。 ぞっとして中条は、信じてもいない神に感謝した。 自分とて知己と離れるのは淋しいが、この調子で説教を食らい続けていれば煙草で倒れるよりも先にストレスで倒れてしまっていたかも知れない。 「ま、僕がいなくなっても――後釜は見つかりそうだけど?」 「……?」 「僕からの、予言だよ」 ふふふ、と謎めいた笑いを零し――安はひらりと白衣を翻した。 「さてと、ロクデナシ長官からせしめたお金で、今日は徹底消毒としゃれ込みますか♪」 何だかルール違反に託けて、余計な資金まで取られてしまった気がするが、それくらいで済んだのならめっけものだと、敢えて中条は突っ込まずに黙する。 「!ああ、そうだ、ドクター。徹底消毒ならついでに…」 「解ってるよ、不要及び危険薬剤の除去、だろう?あの辺は僕の収集物だから、どのみち今日片付けちゃうよ」 何故そんな危険物をコレクションしているのか聞きたくなったが、これ以上ダメージを受けるのは得策ではない。 「……頼んだよ」 だからまたもやあっさりと流して中条も支部長室に向かうべく、安に背を向けた。 と。 「ああ、そうだ」 スッカーンッ!と大変に景気の良い音と目の玉が飛び出そうな衝撃が同時に中条の後頭部を直撃する。 「なっ…んなっ…」 「ひとーつすっごく大事な事を云い忘れてたんだけど」 ずれてしまったサングラスを直して振り返ると、またもや剣呑な笑みを取り戻した安が予想以上に間近にいて、思わず飛び退ってしまった。 「な…何かな?」 「今度から、薬壜に触る時は必ず!医局の人間の許可を得てくれないかなァ?」 コロコロ…と中条の足元に転がってきたのは、中身がぎっしり詰った小さな薬壜だった。 恐らくこれを思いっきり投げつけられたのだろう。 怖すぎる。 当たり所が悪かったら死んでいたではないか。 だが安の笑顔を――その実ちっとも笑っていないのだが――前にして、そのような些細な抗議が行なえる訳もない。 「君、文字が読めなくなった訳じゃないよねぇ?あそこの棚に『許可なく触れるな』って書いてあったの、見えなかった訳じゃないよねぇ?」 じりじり、と壁際に追い詰められて、中条は慌ててぶんぶんと手を振る。 「いやっ…だが、昨夜のあれは緊急事態でっ…」 「問答無用。しかも中身を完璧に元に戻すならまだしも、中途半端な戻し方してくれちゃって。危うく君専用の胃薬の壜に砒素を入れる処だったよ」 それは怒りの為の所業なのか、それともうっかり間違いそうになったといういう意味かどちらなのだろう。 読み取れぬまま、ただこくこくと中条は頷いた。 最早『何故そんな処に砒素が?』という基本的な疑問すら湧いてこない。 「次に勝手に触ったら――殺すからね?」 医者の台詞かよ。 その場を通りすがったエキスパート達は皆、同時に心の中で突っ込んだが――誰もそんな事を口にせぬまま、何も見なかったかのようにただ会釈だけを寄越し、去ってゆく。 触らぬ神に祟りなし。 そんな言葉くらいは中条とて知ってはいるが。 (余りにも…冷たいじゃないか、皆…) 仮にも『支部長』である自分を見捨てていくなんて。 それは勿論誰もが自分の身が一番可愛い、という事も知ってはいるのだが。 (……早く呉君や銀鈴君が『ここの一員』になってくれたらなぁ…) まだここに染まりきっていない彼等ならば、上手く取り込んで行けば今後こんな事があっても自分を擁護してくれるかも知れない。 孤独感に苛まれ、深く伏して詫びを入れながら中条は、彼等2人が一日も早く立派なエキスパートとして成長する事を祈るのであった。 全くの余談では有るが。 「ちょーかんっ!いい加減になさって下さいっ!一体朝からどれだけ吸えば気が済まれるのですっ!!」 「いや…その、考え事をしているとどうしても口元に何か欲しくなってね…」 「云い訳無用!第一そのパイプ一本で脳の血管が何本切れるかご存知なのですかっ?!そんな状況で考え事をしようなどと、ふざけるにも程があります!そもそも煙草の害というのは、吸っている本人だけではなくその周囲の人間にも被害を及ぼすものなのですよ?!煙も匂いも何もかもが害です!百害あって一利無しの権化ではありませんか!それとも何ですか?長官は煙草を吸う事によって発生する利益が、煙草によって巻き起こされる害よりも上回ると仰るんですか?それを根拠と共に述べる事が出来るんですか?いいえ、出来ませんよね?!仮にも世界平和を全うすべき国際警察機構の一支部長である貴方がそのような、世間に害悪を撒き散らすような真似をなさっても良いと仰るんですか?!どうなんですか!其処のところを今日こそはっきりさせようではありませんか!」 一連の事件を経、立派な国際警察機構の一員として成長した呉が、安の予言通り自発的に『彼の後釜』の位置に納まり、中条に真っ当な生活を送らせるべく安よりもパワーアップした小姑ぶりを発揮するのは――そう遠い未来の事ではなかった。 ■おわり■ 医者と云えば華陀、というイメージが先行しますが華陀は何と無くBF団に居そうだなァという事で、安全道(ミスタイプ)さんにお出で頂きました。オリキャラ出してしまってすみません…。 ドミノ本予告の「幽けき〜」の後日談というかオチというか…。強呉がちょっぴり大ブーム。 2003/01/01 |
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