タルトタタン |
ドタドタ…という、研究棟に似つかわしくない足音がするのを呉は意識の遠い処で聞いていた。 彼は集中すると、完全に他所事の一切を遮断してしまうという癖がある。なので、その足音の主がけたたましい音を立ててドアを開け、あまつさえ自分の方へ勇んで歩いてきても、全く無視していたのだ。 「学究!お菓子の作り方を教えてくれ!」 がしぃっ!と後ろからしがみ付かれ、含んでいた紅茶を勢い良く噴き出してしまうという醜態を演じるまで。 「エマニュエル…藪から棒になんだい?」 質問の内容に対する言葉ではあるが、実は非常識な行動に対する注意でもある。 尤もはっきりと直接云わない限りはエマニュエルに伝わりっこ無いのだが。 「ええと…」 案の定と云うべきか、エマニュエルは行動に対する詫びを入れるどころか『学究は慌て者だなぁ』等とピントのずれた注意をし、よっこいしょと椅子を持ってくると呉の横に据えて、座り込んだ。 一見冷静を装いながら、呉もゆっくりと椅子ごと乱入者に向き直る。 机の上のレポートが何枚か紅茶によって死亡していたが、それを今介抱するのは憚られた。 何せ、エマニュエルは我侭なところが多々ある。 彼を無視してレポートの救助を行なったところで、通常の3倍ほどの時間が取られる事は目に見えているのだから。 レポートの10枚や20枚がなんだ。筐体にかからなかっただけ、まだ良いではないか。 自分で自分を慰める、悲しい呉であった。 「何?」 勢い良く飛び込んできたものの、もじもじするだけで一向に話し始める気配の無いエマニュエルを促すように――寧ろ『早くしろ』と突っ込むように――柔らかに小首を傾げると、うん、と一つ咳払いをして親友は重い口を漸く開く。 「ファルメールに、作ってやりたいんだ」 照れたような表情に、まぁそんなところだろうなと呉は小さく苦笑した。 この面倒臭がり大王に何か始めよう等という気を起こさせる要因は、大事な父親か妹以外には無いだろう。 「しかし、どうしてまた急に?」 「ああ…今日、ちょっと申請書類の関係で、ファルメールの学校に行ったんだ」 云って、エマニュエルが天井を見上げる。 彼の見た光景を一生懸命思い出し、より正確に呉に伝え様とするかのように。 学校に行ったらね、丁度ファルメール達がP・E(Physical Education:体育)を終えたところだったみたいで。 クラスメイト達と一緒にグラウンドの端で休憩してたんだ。 ほら、学究も知ってると思うけど、P・Eの後ってお腹が空くだろう? 皆でお菓子を持ち寄って、楽しそうにしてたんだ。 でもね、何だかファルメールの笑顔がいつもより硬く見えて。 どうしてだろう、って考えてながら遠目に見てるとね。 皆、手作りのお菓子を持ってきてたんだよ。 多分――お母さんが作ってくれたんだろうな。 別に仲間外れにされてるんじゃない。 ファルメールだって手ぶらで居たんじゃなくて、自分で買ったんだろうな、お菓子を持って行ってた。 周りの皆と交換したりして、『有難う』って笑ってたりしてたけど。 ――途轍も無く、淋しそうな顔を、してたんだよ。 なるほどね、と呉はエマニュエルの話を聞いて、頷いた。 エマニュエルも就学年齢ではあるのだが、彼は研究所内の学習機関にて学んでいるし、一般社会から隔絶されている部分が多々あるのでそういった感情に囚われる事は少ないのだろう。 年もファルメールより10も上で、そういう部分では一応『大人』なのだし。 第一呉が一緒なのでそんな淋しさを感じる場面もないのだろうが。 『外』の学校に『一人』で通っているファルメールはそうはいかない。 ならばせめて、妹が肩身の狭い想いをしないよう――引け目を感じないよう、取り計らってやりたいと云うのだろう。 何とも妹想いな、良い話ではないか。 ふふ、と笑って呉は目を細め、照れながら俯いているエマニュエルの頭をぽん、と撫でた。 「優しいお兄さんだね、エマニュエル」 「……揶揄うなよ」 赤くなりながらぶっきらぼうに云い、ぽすっ!と殴り返してくるエマニュエルの手をやんわりと受け流して呉は、立ち上がるとえーと、と考え込む。 さて、何にしよう。 持ち運びに苦労せず(よってクリームを使ったのは却下だ)。 保存がある程度きいて(ゼリーなんかはちょっと拙いかも)。 一見するとちょっと豪華で(だからクッキーはちょっと避けたい)。 但し、不器用で短気なエマニュエルにも作れる範囲の(スポンジケーキは止めた方が無難かな)。 何より『手作り』感の強い物。(溶かして固めただけのチョコレートは以ての外)。 とすると。 と己の脳内に管理してあるレシピをぱらぱらと開き、呉は漸く一つの菓子に辿りついてにっこり、エマニュエルに微笑みかけた。 「良いよ…丁度手も空いてるしね。レシピは『タルトタタン』なんて、どうかな」 「本当かっ学究!何だか良く解らないけど、それにしよう!有難うっ」 がしぃっ!と今度は正面から感謝一杯に抱き竦められて、若干辟易しつつもあははと呉は笑った。 本当は『手も空いてる』ではなく、『手を空けさせられた』が正しいだなんて、口が裂けても云えない。 何せあのレポートが無事だったならば後3時間はかかりっきりでいただろうから。 「じゃあ、じゃあ早速っ!」 「うん。そうだ、それならちょっと多めに作って、博士達のお茶にもお出ししようか」 「名案だな♪――と、勿論学究も…」 「手伝うよ」 彼一人に任せておける程、呉の神経は太くない。 それに、どうせしっちゃかめっちゃかなキッチンを後で片付けるのは自分だろうから。 「有難うっ!学究」 「お易い御用だよ」 エマニュエルに尻尾があれば、きっと切れてしまいそうな程ぶんぶんと振られているに違いない。 自分の手を引っ張って、『早く』とキッチンに先導する親友の姿に苦笑を誘われながら (でも、何だか――) 胸中に湧き上がる擽ったい、浮かれたような気分に呉は、エマニュエルに見られない様に口元を綻ばせた。 タルトタタン。 フランスはラモット・ブーヴロン発祥の焼き菓子。 土地柄が裕福でないので、落ちていたリンゴを活用するお菓子が作られ始めたのだという。 貧しいながらも、大事な人に、美味しい物を食べさせたいという優しい欲求。 愛情という感情を具現化したような経緯で作られた、甘いデセ−ル。 だから、溢れんばかりの愛情を込めて、作ろう。 大好きな『妹』の為、『家族』の為、『親友』の為。 フィリングをことことたいたらじっくり焼いて。 パータフォンセは丁寧に作ったら暫く寝かせて。 焼き上がったフィリングにフォンセをかぶせて。 そしてまた時間をかけて焼く。 これを見た『大事な人』の顔を想像していたら 時間が経つのはあっという間。 キッチンが漂う良い香りにくるまれたら、出来上がりだ。 「いーい匂い」 ふんふん、と鼻を鳴らしてエマニュエルがオーブンから菓子を取り出し、ぱかんと型から外した。 全体の焼き上がりをチェックして呉もうん、と頷く。 「初めてにしては上出来だよ、エマニュエル。きっとファルメールも喜ぶさ」 「学究が手伝ってくれたからだよ。本当に有難う」 えへへ、と二人で顔を見合わせて笑う。 エマニュエルの顔に書かれている文字は、きっと自分の表情にも浮かんでいるだろう。 そう、『幸せ』。 大事な人の事だけを考えて時間を過ごせる事。 それは何にも替え難い、幸せな時間だ。 「ただいまーっ!お兄様、学究兄様、何か作ってるの?とっても良い匂いがしてるんだけど」 と、そこへぱたぱた、と軽い足音を立ててファルメールが入ってきた。 「丁度良いところに帰って来たね、ファルメール。お帰り」 「待ってたぞ、ほら」 エマニュエルが示したテーブルの上のタルトを見て、少女の顔がみるみる綻ぶ。 ――幸せが、伝染していく。 腕前も、手際も、色々あるけれど。 一番お菓子を美味しく作る秘訣は 目には見えないスパイスをたっぷり込める事。 スパイスは、愛情です。 ■おわり■ バシュタール三兄妹。云い切ります、三兄妹。彼等が大好きでどうしようもありません。 当時、ファルメールちゃんがしっかり書けなくてリベンジしたいと云っていましたが、未だ為せていません。うぅん、残念無念。 2003/01/21 |
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