青春りっしんべん














「ああー…復讐したいなぁ」
バシュタールの惨劇から一年。
辛くも生き残った人々が漸く穏やかな日々を取り戻し始めたある日の事。
国際警察機構・北京支部の食堂で、エマニュエル青年は本日の日代わり定食Aをつんつんと突っつきながら、深い溜息と共にそう云った。
聡明っぽい眉は憂いを帯びて顰められ、一見すると知性に溢れていそうな瞳は波打つ水面に浮かぶ小舟のように、揺れている。
哀愁――本人が恐らく意図しているのはそういう雰囲気だろうが、はっきりいって外から見れば気持ちが悪いの一言に尽きる。
良い年をした――じきに二十歳になろうかとする――青年が少女漫画のヒロイン宜しく、ワザとらしく瞳をウルウルさせている光景など、特に食堂なんかでは見たくない。
よって、エマニュエル青年の掛けた周辺は、妙に空いていた。
人が最も集中する正午からの第一休憩隊であるにも関わらず、だ。
「何爽やかに嫌な事云ってるんですか、エマニュエルもとい幻夜」
だが、そんな彼の姿に臆する事無く、その真正面に腰を掛けた人物がいた。
彼こそ、この国際警察機構にありながら、唯一エマニュエル青年を御しきれる人物。
今や『幻夜』と名を変えたエマニュエルの『親友』と呼ばれる存在だった。
「学究、もとい学人。お前も休憩か?」
呉が手にしている日代わり定食Bを目にして、幻夜は嬉しそうに笑った。
ちなみにAとBではB定食の方が値段が高く、そして余り食の太くない呉が残した分をお零れとして頂戴出来るから――という訳では、決して無い。
多分。
呉の為にじょぼじょぼと茶を注いでやりながら、幻夜はぷうと頬を膨らませた。
「だって…お前もそう思わないか?!」
そのままぺたん、と顎を食堂机に乗っけ、やや顎を突き出しながら上目遣いになる。
「空はこんなに青いし」
「その位置からじゃ天井しか見えないと思いますが」
「風はこんなに澄んでいる」
「食堂ってどうしてこう、雑多な匂いがするんでしょうねぇ」
冷ややかともとれる呉の突っ込みが、聞こえていない訳ではない。
聞いていながら、流しているのである。
要は気分の問題だから、と――もし誰かが彼に問えば、そう答えるであろう。
酒もないのに酔える人種だ。
ある意味酒飲みよりも迷惑な存在かも知れない。
「こんな日ならきっと、大地にヤツの血反吐だって映えるに違いない!そう!今日は正に復讐日和じゃないか!!」
だんっ!と机を思いっきり殴りつけて立ち上がり、食堂中の注目を集めてしまった幻夜は恥ずかしそうにこほん、と一つ咳払いすると、すとん、と腰を下ろした。
食堂は瞬間だけ沈黙していたが、やがて即座にまたがやがやと騒がしくなる。
「もうちょっとだけ堅実に生きて下さいよ」
もぐもぐ、と口を動かしながら――けれど決して音を立てて咀嚼している訳ではない――呉が、そんな幻夜を宥める様に云う。
「『血反吐』なんて云いますけどね、相手は天下のシズマ博士。どうやるつもりなんです?」
「え…と、それは…うーん…」
何も考えずに口にしていたのが丸出しである。
夢想するだけで具体的な計画は何もない。
子供の戯言と同じである。
「ねぇ、幻夜。気持ちは良く解ります。でもそう一途に復讐復讐と騒ぎ立てず、もうちょっと地道に生きましょうよ。ええ、決して博士のご無念を忘れる訳ではありませんが…」
呉が箸を置いて、そ、と幻夜の手を包んだ。
「ただ、受けた『暴力』に対して同じように『暴力』で返す事など、決してフォーグラー博士…お父上はお望みでは無いと、私は思います」
「学人…でも…」
一瞬心が揺れたように幻夜の表情が変わり、すぐにふるふると頭が振られる。
「僕は…父さんの…不名誉を晴らしたいんだ…」
「気持ちは良く解ります。ですから『血反吐を吐かせる』なんて不穏当な方法ではなく」
にっこり、と花が綻むように呉が微笑んだ。
「方法は幾らでもあるじゃないですか。例えば女性週刊誌やワイドショー相手にシズマ博士の女性関係をでっち上げて暴露する、とか」
しょげたような幻夜の顔に、僅かに光がさす。
「例えば当局に、シズマ博士が脱税してるとチクるとか」
「…例えば、シズマの論理はパクリだ、とか匿名で密告するとか?」
「ああ、それも有効ですね。さすがは幻夜」
誉められて、みるみる幻夜の顔が明るくなってゆく。
「学人…」
「復讐だけが人生じゃ、ありませんよ。幻夜」
とどめの様ににっこりとまた微笑んだ呉に、幻夜はうるうる、と潤んだ瞳を向け、重ねられた手をがっちり、と握り直した。
『それの何処が復讐じゃないんだ』と食堂中にいた人間が同時に心の中で突っ込んでいた事には気付かない。更に云うなら『それを云うなら『暴力』だけが『復讐』じゃありません』だろうが、と高度な突っ込みさえあったりもしたのだが。
今や幻夜と呉は机の上でしっか、と手を握り合い、微笑みを交し合っていた。
「そうだな、うん、学人の云う通りだ!」
「そう。その為には我々の発言が正しい物だと周りの人に認知してもらえるよう、確固たる地位に付くよう頑張らなくては、ね?」
うんうん、と幻夜は既に首振り人形のようになってしまっている。
『正しくない、正しくない』とはっきりと手を振る周りの人々には気付きもせずに。
と、食堂の大時計が一時を告げる。
第一休憩隊の休み時間終了を告げる鐘の音だ。
「さあ、行きましょう幻夜。昼から任務がまた詰まってますからね」
「よーし!やるぞ学人!」
「ええ、頑張りましょうね」
ぐぐっ!と拳をつくる幻夜、それをにこやかに励ます呉が連れ立って食堂を出てゆく。
それを見守っていた周りの人々は――彼らの姿が完全に見えなくなるまで見送り、そしてはあぁ〜と大きな溜息をついた。
一体いつになったら諦めるんだろう。
こうなったら自分達が、彼らに代わってシズマ博士を云われ無き罪に陥れてやろうか。
そう考えている人間も少なくない。
何せ、ここ一年というもの、彼ら傍観者は毎日のように似たような遣り取りを見せられているのだから。


妹の手によって三本のアンチシズマドライブが発動させられ、地球が壊滅的な危機から救われ、シズマ博士の駄目っぷりが地球規模で明らかになるまで後十年。
「ぃよぉ〜っしっ!頑張るぞ!」
張りきった幻夜の声が今日もまた、元気に北京支部に響くのであった。













■おわり■






もしもシリーズ第一弾。銀鈴と幻夜の立場が逆だったら!幻夜編です。
幻夜はイメージ的に暴れ馬のような人なのです…すみません。
この兄妹が本当に逆の立場だったら…もうちょっと皆、倖せな処に行けたんじゃないかと思います。


2003/02/20






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