0101→0102 大作・サニーの場合 |
「昨夜、どんな夢を見ました?」 そんな楽しげな子供の声が聞こえて、ふと孔明は足を止めた。 年が明けた翌日、この時期にしては珍しくあたたかな陽射しが柔らかく射し込む午後の中庭、幼いと形容してもまだ足りないような、少年と少女が芝生に腰を掛けて語らっていた。 目出度い空気に包まれている本部に相応しいような、微笑ましい光景である。 「ええー?夢なんて覚えてませんわ。大作君は?」 「うーんと、実は僕も覚えてないんです。何か見たような気はするんですけど…」 かしかし、と頭を掻きながら少年の方、草間大作はぽよぽよとした眉を悲しげに寄せた。 「夢が、そんなに大事でしたの?」 少女、サニー・ザ・マジシャンが、何処かわくわくしたような顔つきになって、大作少年に問うている。 「はい、昨日見た夢は『初夢』って云って、日本ではその一年の吉凶を占う大事な夢だったんです」 年の割には古臭い事を知っている。 「あら…大変。どうしましょう、そんな大事な夢を忘れてしまったんですのね、私達」 見るからにしょげた風体で云って、サニーが泣き出しそうな顔つきになった。 夢の一つや二つでそれほど大騒ぎする事もあるまいに。 そもそも占いなど信用するにも値しないのに。 尤もその無邪気さが、子供が子供たる所以なのだろうが。 孔明はぷっ、と吹き出しそうになりながら、二人を見守っていた渡り廊下から足を踏み出した。 わざわざそんな事をしてやる必要など全く無かったのだが――それでも子供が悲しんでいるのを見過ごすのは何処か気分が悪い。 さく、と芝生を踏みしめると幼い瞳がくるん、と振り返って自分を見、にこっと細められたのを見ると、孔明も優雅に微笑み返した。 「ごきげんよう、お二方。仲良く日向ぼっこですかな?」 「ごきげんよう、孔明様」 「こんにちは、孔明さん」 二者二様の返答にもう一度軽く会釈をして、孔明はちょうど三角形の頂点に位置する場所にしゃがみ込む。 「盗み聞きをするつもりはなかったのですが…今大作君は『初夢』の話をなさっておいででは?」 「はい、そうです。あれ?孔明さん、初夢の事御存知なんですか?」 さも意外そうに大作が大きな瞳をくりくりとさせる。 それもそうだろう。 『初夢信仰』という概念は、日本に古くから伝わってはいるが他国ではそれ程浸透している訳ではない。 すぐ近くに在るとは云え、孔明の出身である香港は特に、遠い昔は英国に支配されていた土地柄、考え方も西洋的になりがちなところが多く、そのような習慣は確かになかった。 だが、本来の『本国』である中国には夢に関する習慣や信仰なら山のようにある。 尤も大作の発言はそれらの事を鑑みての物ではないだろうが。 「ええ、遠い昔に大学の先輩に伺った事があります」 にこりと微笑めば、子供達は素直に「へー」と感心した眼差しを送ってくれる。 「まぁ何故私がそれを知っているかはともかく。私が伺った『初夢』とは、元旦の夜…1日から2日の夜、という事ですが、つまり、今夜見る夢を初夢と称すのだと伺いましたが?」 その人は、他にも色々説があると教えてくれたのだが――少なくとも大作少年が認識していた『晦日の夜』から『元旦の朝』にかけて見る夢だ、という説は無かった筈だ。 そう告げると、みるみる子供達の表情が明るくなっていった。 「本当ですか?孔明さん!」 「本当ですわよね、孔明様。孔明様が嘘を仰る筈、ありませんもの」 いえいえ、サニー。嘘は山のように吐きますよ。 その言葉を飲み込んで、孔明は曖昧に微笑む。 自分が吐く嘘は、自分にとって得になったり有利に動く為の嘘で。 いたいけな子供を騙し、傷付ける為につく嘘は、何処にもない。 これが――相手が子供達ではなく、某混世魔王だったりすると話は別なのだが。 にこり、と再度念押しの為に微笑むと、子供たちは互いの顔を見合わせあって、とても嬉しそうに笑いあった。 こんな――素直な感情を、自分は子供だった時に晒しただろうか。 否、なかった。 自分が生きてきた世界は、欺瞞と懐疑心に満ちていて。 こんな風に明るく笑う事などなかった。 だから、だろうか。 他意なくその微笑を、存在を護ってやりたいと思えるのは。 「『宝船』を――知っておられるかな?大作君」 ふと、遠い昔のことを思い出したついでに、通りすがりの記憶が頭を過って、孔明はそう問うた。 「宝船、ですか?いいえ、知りません」 「彼の国では初夢を見る際に、宝船を描いて枕の下にいれておくと良い初夢を運ぶのだとか。初夢の話を聞いた折に、そのように申してらっしゃったのを今、思い出しました」 云って、孔明は内ポケットから矢立とスケジュール帖を取り出し、ぴっ!と白紙を一枚裂くとそこにさらさらと思い出した文言を書きつける。 『なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな』 「うわー、孔明さんて日本語もお上手ですねっ」 殆ど触れた事が無いだろう母国語の書付に、大作が瞳を輝かせた。 「これが『日本語』なんですの?どんな意味なんですか?孔明様」 「言葉遊びの一種ですよ。大作君にはお分かりでしょうが、これは上から読んでも下から読んでもまるっきり同じ文章になるのです。『回文』と呼ばれるのですが、何やら遠い昔に『長寿』に繋がると云われ、大層縁起のよいものだとされてきたそうですよ」 その書付を大作に渡してやると、少年は瞳を瞬かせ、懸命に何度か黙読していたようだったが、やがて意味を理解したのか『ああ!』と嬉しげに声をあげるとにっこり笑った。 「宝船の絵の横にその文言を書きつけておくと良い、とも、寝る前にその言葉を3度唱えると良い、とも云われているそうです」 片膝を突いた態勢からすっくと立ち上がると、孔明は子供達に向かって再度、にっこりと微笑んだ。 「良い夢が、見られると良いですね」 「っ!有難う御座いますっ!僕、お父さんに『宝船』描いてもらえるか聞いてみますっ!行こう、サニー」 「ええ。有難う御座いました、孔明様」 手と手を取りながら、子供達が元気に駆けてゆく。 転びはしないかと少し心配になったが、二人はよろけもせずにみるみる小さくなっていった。 それを見送って―― 「本当に…無邪気で良いですねぇ、子供は」 クス、とそれこそ孔明の方が子供のような――邪気のない微笑を一つ、落とした。 ◇◆◇ 「やあ、孔明。夜分遅くに失礼するよ」 その夜。 そろそろ床につこうかと支度を整えた孔明の元に、大作少年の父、草間博士が不意に訪れた。 「…相も変わらず常識知らずな方ですねぇ、普通この時間なら誰か伺い立てに寄越しませんか?」 云いながらも、断わる事無くそのまま私室に招き入れる。 「お茶は出しませんよ」 「良いよ、期待してなかったからさ。それにしても君…良くあんな古い話を覚えていたね」 愉しげに隻眼が眇められた。 何の事は無い。 先刻大作に云って聞かせた話は、凡てこの草間博士からの知識で。 同じ大学に在籍し、分野は全く違えども『優秀』というカテゴリで括られて阻害されがちだった二人は、自然と交友関係を深めていったのである。 「興味深かったものですから」 「お陰で大変だったよ。大作とサニーちゃんに『宝船』を描け、って纏わりつかれてね」 「描いて差し上げたんですか?」 「とんでもない。こう見えても全く絵心が無いんだ。知ってるくせに意地悪だな、君は」 何故かえいっ!と胸を張りながら草間が、ふっくらとしたソファに腰掛ける。 その斜向かいに同じく腰を下ろして、孔明は『確かに』と心中で呟いた。 設計図様の物なら右に出る者はいない程ひどく正確に、また美麗に仕上げるのに。 普通に絵を描かせると、抽象画よりも理解に苦しむ物を描いてのけるのだ、この天才博士は。 「では残念がったでしょう」 逆に可哀想な事をしただろうか、そう思えば『いやいや』と手が振られた。 「カワラザキ殿が水墨画に長けてらっしゃるって聞いたからね。二人がお願いしに行ったら返事二つで引き受けてくれたそうだよ」 「それは良かった」 「うん、それでね」 はい、と手渡された筒を、促されるままに開けて逆さまにすれば。 「…これ、は…」 すとんと手の中に落ちてきたのは、綺麗に丸められた、紙。 「開いてご覧」 見事、としか云い様の無い『宝船』の図が、そこにはあった。 「大作達がね、折角だから君にも良い夢を見て欲しいって云ったんだよ」 いじらしいだろ?可愛いだろう!と親バカぶりを大発揮する草間をそっちのけで、孔明は図画に見惚れていた。 翁自体は反目し合う仲だが――中々どうして、この絵は素晴らしい。 まるで波を蹴立てて走る舟の、櫂の音まで聞こえてきそうな程だった。 純粋に図画としても秀でている。 それ以前に暖かな心根がとても心地よく――たまらなく嬉しく感じる。 こんな風に感じる『気持ち』が自分の中にまだ、あったなんて。 「…お気持ち、有り難く頂戴しますとお伝え下さいますか?博士」 「勿論」 大きく頷いて草間が立ち上がる。 「じゃあ、孔明。そろそろ失礼するよ。――良い夢を」 「ええ、お休みなさい。博士」 「それから」 「?」 「…今年も、親子ともども宜しく」 全く以って今更な挨拶を口にして、破顔した彼に 「……こちらこそ、宜しくお願い致します」 孔明も挨拶を返す。 ふふ、とお互いの笑みが重なり合って、そして解けた。 あたたかなものがゆっくりと心に降り積もる。 こんな風に優しくされたり、優しくしたりするのは自分らしくないと知りながら。 今宵、凡ての人に降りる夢が、良いものであるようにと祈りたくなってしまう。 『なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな』 どうか、今年が皆にとって良い年でありますように。 ■おわり■ 草間博士の場合、みたいになってしまいました。マイ設定炸裂な博士と孔明さん。 適当な事を教えて、それを信じる孔明を見て楽しんでそうなうちの草間父。 皆仲良しが一番だと思います。夢を見すぎていてすみません…。 2003/01/06 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||