1231→0101 樊瑞の場合














「随分な御挨拶だな、孔明…」
混世魔王・樊瑞は、肩甲骨の辺りまで伸びた長い髪からぱたぱたと雫を垂れ落ちさせながら、やや不機嫌そうに云った。
まぁ大抵の人間ならば、ドアを開けるなり水をぶっ掛けられるという状況に陥ればこういう顔になっても仕方あるまいが。
「ああ、大変ですね樊瑞殿。そのままではお風邪を召されるかも知れませんから、お早く部屋に戻られた方が宜しいのでは」
しれっとした顔で嘯くのは、BF団きっての曲者、策士・諸葛亮孔明。
いつもながらの空々しいまでに完璧な微笑みをゆったりと樊瑞に向け、頤に軽く指を押し当てながら、さも名案の様に云ってみせる。
策士執務室前の小さな衝突。
時刻は真夜中の12時を10分ほど回った頃。
それは全くいつもと変わらない風景だった。
扉を開けたすぐの処に立ち塞がる孔明の、如何にも文官めいた手が、手桶さえ持っていなければ。


そも、斯様な夜更けに樊瑞とて、好きで孔明の元を訪れているのではない。
大掛かりな作戦が随分長引いたが漸く終了し、つい先程本部に帰還したばかりの非常に疲れている身で、わざわざ疲れに行く愚か者もいるまい。
孔明とは差し向かいで話すだけで、どんどん体力を削られていっているような感覚に陥るのだから。
本来であればゆっくり休みたい。だが――『義務』があるからには、そうも云ってはおられないのが哀しいところだ。
BF団内では、 作戦が終了すれば、速やかに本部に帰還した後、結果報告を行うのが常である。
主であるビッグファイアが目覚めていれば直接謁見して行われるそれは、今現在『代理人』という肩書きを入手している策士・孔明に対して行う事と定められていた。
故に、作戦総指揮官であった樊瑞は、その規律通り、帰還してからその足でまっすぐ策士執務室に現れた訳である。
そんな生真面目な自分にこの仕打ちとは。
幾らなんでもあんまりだ。
樊瑞はひく、とこめかみが疼くのを感じながら、無理矢理口元を歪める。
一応、笑っているつもりだったのだが、威嚇する犬みたいな顔つきになってしまった事は否めない。
「何のつもりか聞いても良いか?」
ひっきりなしに頬を伝い落ちる雫をぐい、と掌で雑把に拭い上げるが、とてもではないが追いつかない。
廊下から中には入れてもらえぬままで。冷気はダイレクトに全身を覆う。
何となく背の辺りがぞく、とした。
「いえ、実直な樊瑞殿ですから、作戦から直接此処に向かわれたのだと思いまして」
普段は和らげられている事の多い樊瑞の眦が、きりきりと音でもたてそうなほど厳しくなっていっても一向に孔明は怯む様子を見せない。
「……で?」
「おこがましいながらも『穢れ』を祓って差し上げようと思った次第です」
「……水を人の頭にぶちまけるのが、お前の中では『穢れ祓い』になるとはな」
世間の常識も変わったものだ。嫌味たっぷりにそう云えば
「これは只の水ではありませんよ、樊瑞殿」
切り返されて、思わずきょとんと目の前の作り物めいた微笑みを見つめる。
「消毒液でも混じっているのか?」
「ああ、そうではなく…これは『若水』なんです」
手にした手桶をすい、と掲げて孔明がそう云った。
「『若水』とは元日初めて汲む水の事です。古来よりこれには邪気を祓う聖水のような役割があり、穢れ払いの効果があると云われているのですよ」
云って、孔明がタオルを差し出してくる。
それを受け取った時、触れ合った孔明の指が常に無く酷く――冷えているのに気が付いた。
「…それでわざわざ、策士殿手ずから汲み置いたという訳か?」
「年が明けるまで戦況が長引くような作戦を立てたのは私ですから」
微かに彼の表情に、照れの色が含まれる。
一体この水を孔明は何処から汲んで来たというのか。
策士執務室には水道は完備されていない。
ましてや『元日初めて汲む水』という前提がつけば、そこいらの水道から汲んできた物ではないのだろう。
恐らくは、本部中庭に設置されている非常用の古めかしい井戸から。
そうでなくては、温かい室内にいた筈の彼の指が此処まで冷え切っている事の説明が付かない。
(こやつ、意外と…)
何だか無性に可笑しくなって、樊瑞は漸く目元を和らげた。
喉の奥から噛み殺しきれない苦笑がくつくつと溢れてくる。
どんな顔をして、どんな想いでこの水を手に入れてきたのだろう。
何よりも、普段は反目しあっている『自分』の為に。
「…何が可笑しいのです?」
目元を仄かに赤くしながら、今度は孔明の表情が剣呑なものになっていく。
だが、それに頓着する事のないまま樊瑞は軽く頭と顔を拭ったタオルを孔明に返し、くるりと背を向けた。
「…どちらへ?」
「お主の云う通り、一度部屋に戻るとしよう。このままでは新年早々風邪を引く羽目になりそうだからな」
ちら、と背中越しに見やった孔明の顔はもう――とっくに普段の『策士然』としたものに戻っていたけれど。
「ゆっくりで構いません。もし何でしたら報告は明日でも結構ですよ」
これまた掛けられた珍しすぎる言葉に、ぴたりと樊瑞は足を止めてしまう。
「新年、ですからね」
「……新年早々大雪を降らせて、世界を恐慌状態に陥らせるつもりか、お前は」
失敬な、と僅かに口を尖らせた彼のその所作がとても――常に無く子供っぽく見えて、ついつい揶揄ってしまいたくなる。
「湯を浴びて、すぐに報告に来る。それとも――何ならお前が背を流してくれても良いのだぞ?浴室で語らえば、報告もついでに済ませられて一石二鳥だ」
「謹んでお断り申し上げます」
柳眉を撓らせて吐き捨てるように孔明が云った。
了解されても困るのだがな、と苦笑を殺しながら樊瑞は肩を竦めた。

たかが一日、日付が変わるだけ。何の拘りも、今までは無かった。
けれど、こんな風にその事を気に掛け、また『普通』に新年を迎えられなかった自分の為に、わざわざ気を配っていた孔明を思えば――少しだけ『特別』にしてやっても良いかもしれないとも思う。
「すぐ戻る。それまでにお主も手を温めておくのだな。そのままでは判も握れまい」
普段の、孔明に対する反発心や不審感が一時的にナリを潜める。
代わりに胸を染め上げるのは優しい気持ち。
「樊瑞殿」
そんな思いは孔明の中にもあるのだろうか。
普段の彼とはうってかわったまろやかな声で呼びとめられて、樊瑞は振り返った。
「おめでとう、ございます」
「……ああ、おめでとう」
決して二人とも『今年も宜しくお願い致します』とは云わない辺りがミソなのだが。
いつものとげとげしさを今だけは緩和して。
樊瑞と孔明は暫し、にこりと微笑み合ったのだった。


それは、特別な日。
争い事も今までの確執も、一度はリセットして。
新たな気持ちで迎えましょう。
今日は、特別な日。
世界中の人が、優しくなれる日。













■おわり■






新年早々の浮かれ気分を引き摺って在り得ないくらいにほのぼのしている樊瑞と孔明さん。
ほのぼのと云いながらところどころ、混世魔王に教育的指導を云い渡すべき発言が。


2003/01/01






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