Tir.na.n'gへの列車














街は人で大賑わいだった。
何故だろうと考えてみて、ああ、と思う。
そうか、そう云えば今日は聖誕祭だった。
何だか本部にずっといると外部と切り離されてしまう為、時間の感覚が無くなってしまう。
孔明はそれを何となく淋しく感じながら、スン、と鼻を鳴らした。
きらきらと輝く金のモールや、はしゃぐ子供達の声。
大気はとても冷え切っているのに、空気がとても暖かい。
自分も嘗てはこれらを誰かと共有していた等、最早自分でさえ想像も付かなかった。
少し――淋しい。
心地の良い寒さに晒されながら、孔明はきゅ、と襟元に蟠るマフラーを引き上げて、少し離れたところにいる連れを――子供達にもみくちゃにされている幻夜の後姿をただ、見守っていた。
彼を本部から連れ出したのはほんの気紛れだった。
バシュタールの惨劇から半年、漸く精神的に落ち着いてきた彼へのちょっとしたプレゼントのつもりで、自分が街に出るからその供に着いて来るように、と申し渡して。
『良いんですか?!』と素っ頓狂な声を上げた時の幻夜の顔が不意に蘇ってきて、クス、と思い出し笑いを一つ。
「…ああ、もう解ってないな!だからこれはぁっ…」
きゃんきゃん、と子犬宜しく甲高い声で喚く幻夜の声が耳に弾ける。
見やれば、何やら子供達との云い合いが激化してきたようだ。
事あるごとに『自分は大人だ!』と云い張る割には、行動が伴っていない。
同レベルになっていては説得力の欠片も無いでは無いか。
でもそうして子供達と戯れている姿は、普通の、何処にでもいる17歳の少年で。
とても微笑ましく見える。
何も背負わず、ただ在るがまま、享受して然るべき倖せ凡てを受け止めているかのような、笑顔。

「!」
それが前触れ無しにこちらを向いて、自分の姿を認めたかと思うと、また一層その笑みが濃くなる。
孔明はそれにやや戸惑いながらも、少しだけ小首を傾げ、彼が子供達に別れを告げてこちらに向かってくるのを見つめていた。

「…お待たせしてスミマセンっ!つい…懐かしかったものでっ!」
「構いません」
息せき駆けて来た幻夜に孔明は笑った。
子供達とじゃれていたから、長い髪も、出掛けの時に整えていた身なりもくしゃくしゃになってしまっている。
「タイが乱れていますよ」
そ、と襟元に手を伸ばしそれを直してやると、幻夜がまた嬉しそうに笑った。
笑った、笑えるようになった、と云うのが正しい。
半年前、バシュタールの跡地から彼を連れ出した時はこんな風に彼が笑うようになるとは、とてもではないが思えなかった。
日にち薬という言葉はきっとこういう時も有効なのだろう。
傷は無くなる事は無いが――それでも癒すことが出来る。
どんな時にも、どんな場所でも。
「一体何をあんなに云い争っていたんです?」
少しだけ興味が湧いて、孔明は尋ねてみた。
『部下』の精神状態や好みを把握するのは大事な事だ、という使命からの興味でもあるが、何せ幻夜が子供達と一緒に集っていたのは、玩具屋のショーウィンドウ前だったので。
原因それ自体がとても興味深い。
すると幻夜は恥ずかしそうに笑い
「つまらない事なんですけどね」
孔明は彼に手を取られて、ショーウィンドウの前まで連れて来られた。
先刻程の子供達はもういない。
恐らく共に買い物に来ていた両親に連れられ、去ってしまったのだろう。
「これ、なんです」
きらきらと子供を惹き付けるだろうネオンライトに彩られたショーウィンドウの中は、雪に模された綿やミニチュアの木々などで飾り付けられていた。
其処に鎮座していたのは
「……これは…また珍しい」
「でしょう?」
恐らく『蒸気機関車』と呼ばれた汽車、の模型だった。
幅は大人の掌程度の、割と大きめな模型。
シズマドライブが発明されるよりもずっと以前。
『電気』というものが広く普及するようになってからはこの世から消えつつあった前世紀の遺物。
黒光りする小さな車体は『模型』の名に相応しく、躍動感に満ちて走っただろう当時を十分に思い起こさせる程の力に満ちていた。
孔明自身も本物が走っているところを見た事は無い。
ただ、古い図録や映像で何度か見た事があるのみだ。
「あの子達、こんなの古臭くてツマラナイ。今は流行らないよ、なんて云うんですよ」
幻夜がぺた、と硝子に手を付けて中を覗き込みながら、ぷんと憤慨したように云う。
「…好きなんですか?」
自分の好きな物が馬鹿にされて悔しいのか、と思いきや。
「だって、シズマ以外で走る乗り物なんですよ?!」
がくり、とやや脱力してしまう。
それは『好き』ではなく、『拒否』の上での選択か。
そんなのは――そんな生き方は、と云おうとして、幻夜が恥ずかしそうにへへっと鼻を擦ったのが目に入った。
「というのは冗談として。…そうですね、好きって云うか…」
上手く説明出来るかなぁと独りごちてからうん、と頷いて、彼がこちらを見やる。
「孔明様は蒸気機関車って、お乗りになった事ってあります?」
「私を幾つだと思ってるんですか」
失敬な、と冗談めかした怒気を込めてみれば、『単に経験則の有無を聞いただけですよぉ』と情けない声が上げられた。
「私も無いんです。でも、昔棲んでいた所の近くに汽車の走る線路が通っていて、本物が走っているのを見た事は何度かあるんですよ。田舎だったから、まだそういう物が残っていたんでしょうね」
「それは…凄いですね」
21世紀になっても世界の極一部の地域では、電気で走る機関車が存在していたのは知っていたが、まさか自分よりも年若い彼が、それよりも一世代古い『蒸気』タイプを見た事があるとは。
「でしょう?」
何故か得意げに笑って幻夜が続ける。
瞳がきらきらしながら、ショーウィンドウの中を見つめている。
遠い昔を懐かしむように。
「どうしても一度乗ってみたくって父に強請ってみたんです。五歳の誕生日の時に」
五歳の強請る内容じゃないですよねぇ、だって凄く高価なチケットなんですよ、と過去の自分を揶揄するように無邪気に笑いながら。
孔明はただ、黙ってそんな幻夜に倣う様にショーウィンドウの中を見つめていた。
吐き出させた方が良い。
「父さんはOKしてくれて――でも、約束が果たされる事は無かった」
「…何故?」
合いの手が欲しそうに見つめられ、孔明は僅かに彼の方に頤を傾けて、尋ねる。
「研究が忙しくなったんです。それで、のんびり子供と出かける時間はおろか、家に帰って来る事すらままならない生活に雪崩れ込んでいって――。父さんは僕に何度も何度も謝って『来年は必ず行こう』って云って、埋め合わせみたいに本物の代わりに模型を買って来てくれました」
つ…と幻夜の指が動いて、ガラスケースをなぞった。
「でも結局翌年もその次も、約束が守られる事はなくって、私の周りにはどんどんSLの模型ばっかりが増えていったんです」
クスクスと可笑しそうに肩を竦めて笑う幻夜に、孔明も僅かに呆れた笑いを向ける。
「…本とか図録ではなく、毎年模型を?五歳から十七歳になるまで?毎年?」
「そうなんです。可笑しいでしょう?お陰でこういう物に変に詳しくなってしまいましたよ」
それは――云っては悪いかも知れないが、少し可笑しい。
その歳に見合った物を贈るならまだしも、毎年模型を買い与えるなど、まるで子供扱いだ。
五歳の時の嗜好と十七の青年の嗜好とがイコールかと云えば、そうでない場合の方が多いというのに。
適当というか、そこまで頭が回らないというか。
恐らく博士は――そういう事には不器用な、憎めない人柄だったのだろう。
そう問うと、幻夜も肯首してしみじみと云う。
「父さんはそういう人だったんです。回り道が出来ないっていうか…不器用で、どうしようもなく優しい人だったんです」
過去形なのが淋しそうな、横顔だった。
「『動物園に連れて行って』って云ったばっかりに、妹はぬいぐるみまみれになってましたけどね。しかも模型は割合に高価だから毎年一つ、でしたけど、ぬいぐるみはそれこそ――毎年十個以上はもらってたんじゃないかなぁ」
「そ…それは…」
ご愁傷様というべきか。
会った事もない幻夜の妹に、ほんの少し同情を寄せる。
願わくば、博士の美的感覚が子供受けする事を祈るばかりだ。
人並み外れた感性によるチョイスのぬいぐるみなら――囲まれれば地獄にも似ていて。
眉を顰めながら苦笑を零すと、幻夜もくすくすと笑いながらこつんとケースに額を押し付けた。
肩が、揺れている。
ふと――彼が泣いているのではないかと孔明は疑った。
だって、長い髪に隠れているけれど。
その頬が濡れているように見えたから。
「本っ当に可笑しい」
幻夜の声は震えるように、割れていた。
激しくこみ上げる嗚咽を堪えるようにも聞こえる。
まだ上下する肩を宥めてやりたくて手を伸ばそうとするが、僅かに逡巡している間に幻夜が先に顔を上げた。
瞳がやや上を向き、今はもう居ない人を、今はもう無い時を見つめている。
けれどその瞳は、予測したようには濡れていなかった。
「私はね、別に『蒸気機関車』がそんなに好きって訳じゃなかったんです。本当は、ただ」
『思い出』が欲しかったのだ、と大人になりきれない青年が嘯く。
子供を脱却する時特有の、翳りを帯びた声で。
「自分だけが覚えているのは淋しいから、あの忙しい父さんの頭にも残るよう、選んだ手段に過ぎなかったんですよ。なのに――あの人は、私がそんなに思い入れが無いって事も知らなかったんだ」
変な家族ですよね。
云われて、孔明は僅かに頭を振った。
良くある――話だ。
特に幻夜の家族が異様なのでも無く、恵まれていない訳でもない。
そういった勘違いや齟齬を飲み込みながら共に生きていく一つの団体。
それが、『家族』。
幻夜はそんな孔明の否定を見ずに――或いは見ても意に介さないように、くすっと一つ、笑った。
歪んでいない、真っ直ぐな笑いだった。
「でも、不思議なんです。事ある毎に与えられる模型に囲まれてると――それ、が父が『約束』を覚えている証だと思うと、愛しく感じられるようになってきたんです。だから今でも――こうして見るだけで、嬉しくて」
ひらり、雪が舞って来た。
幻夜の長く、やや緑がかった黒髪に、孔明の、純黒の髪に、白い結晶が落ちる。
「その買い物の間だけでも、それを与えられる瞬間だけでも、父の頭を自分が占めたのだと思うと――」
嬉しくて、と幻夜の呟く声が白く靄って大気に溶ける。
彼は――淋しいのだ、と孔明はふと思った。
子供の頃から、そして今も尚。
父親が傍にいながら決して『自分だけの父』では有り得なかった過去。
『自分だけの父』になったと思ったら、既に鬼籍に入ってしまった現在。
彼はずっとそうやって父の背中を追い続け――だから今ここにいるのだろう。
たった一つ、父から託された『約束』を守る事で、漸く父に省みてもらえると思っているのだろう。
彼は、それで報われるのだ、きっと。
それが世間一般的にみて不幸であっても、それは彼にとっては『幸せ』なのだ。
悲しい。
何て儚い。
孔明は目の前の存在を急に哀れに思い、そっとその頭を撫でてやる。
振り返った目線はまだ僅かに、自分よりも低い位置に在った。
けれどきっと、じきに逆転するだろう。
彼が、望みを叶えるその日が来る迄に。
「弁護するくらいに、愛しくなった、と?」
「ええ、多分、それくらいには」
孔明の手に甘えるように、幻夜の手が重ねられた。
ふふ、と甘い笑いが二人の間を走って。
「一つ、買って上げましょうか?」
懐かしいでしょう?と問えば、幻夜が一瞬瞳を丸くして――けれど頭を振った。
「良いんです、もう。新しい『約束』はもう…この手にあるんですから」
もう『模型』じゃなくても父親を傍らに感じる事が出来る、サンプルがあるからと彼は云った。
たった一つの、決して違える事のない約束が、あるから。
淋しくない、と。
いっそこちらが泣きたくなるような切ない笑顔を零して。
「…そうですね」
ぽん、と幻夜の頭を軽く叩いて、孔明は手を退き、自分の不明を恥じるように微笑った。
「じゃあ…今度、乗りに行きましょうか。その『汽車』に」
と、幻夜がまた大きく瞳を瞬く。
真意を確かめるようにじぃっと顔を覗き込まんでくる彼に、孔明はただ薄く微笑んで見せた。
「まだ走っているかどうかも解りませんが…跡地を見に行くだけでも」
そう云えば、良いですね、と子供が笑う。
「じゃあ孔明様…その時は、二人で何処まででも行きましょうか。行けるところまで。天国とか、地獄とか。世界の境目まで。――境目を越えても」
こちらを見ずにまたショーウィンドウに視線を戻して――けれどその瞳は夢想しているように、この世界には据えられていなかった。
彼の前の硝子が、ぼうと吐息で曇る。
「幻夜…」
そんな『約束』が欲しいのだろうか、と訝しめば、冗談ですよ、と言葉が即座に返された。
振り返った顔は、もう普段の子供とも大人とも付かない表情をしていた。
「良いですよ、気を使わないで下さい。すっごく高いんですって、本当に」
「私は高給取りですよ?貴方と違って」
ひどい、と頬を膨らませて憤慨しながら、ちろりとこちらを睨みつける彼に孔明は安心感を覚える。
こうして、笑っていれば良い。
これから先の運命は、彼にとって決して容易ではないから。
復讐を遂げても、遂げられなくても、彼の心は大きく傷つくだろうから。
だから、せめて今だけでも。
――幸せを感じて、笑っていれば良い、と。
「良いんですよ、だって今でも二人で『汽車』に乗ってるのと変わりないんですから」
だって自分達は同じ道を歩く事を決めた、『運命共同体』だから。
ともすれば、雪の降る音にかき消されそうな程、小さな呟き。
それを落として幻夜は顔を真っ赤にし、孔明を置いてぷいっとショーウィンドウから離れていった。
その後姿を見送りながら、ふと、想像する。
降りしきる雪の中、若しくは花の中。若葉の中、落葉の中。
その中を駆けてゆく列車。
きっと笑っているのだろう青年を供にして。
彼の目指す場所に、そしてゆくゆくは自分の目的地へと共に行く事。
想って、孔明は意図せず柔らかく微笑んだ。
愉しい旅路になるに違いない、と。
振り返った一瞬幻夜が見惚れたのに気付かぬままに。
「…ほら、行きましょう!すっかり時間を食っちゃいましたよっ!」
どっちが道草を食ったのだか。
クスクスと笑いを零しながら、孔明は舞い落ちる雪を受けとめるように、顔を仰のけた。
人々の声。
星にも似た雪の輝き。
聖なる人が生まれた日。
祈りの声が高く低く響き、世界が覆われる。
幸せであるように、と。
「孔明様、早く!」
ぐい、と手を引かれ、その乱暴な所作に微かに眉を顰めて見せると、幻夜が照れ臭そうに笑っていて。
(幸せで、あるように)
破顔している幻夜の為に、孔明は祈る。
どうか、彼を待ちうける未来への切符が、片道ではない様に。
どうか、幸せであるように。
彼の、未来の不幸な幸せ――或いは、幸せな不幸の為に。
ただ今はひた走れ、列車よ。
止まる事無く、常春の国へ。
孔明は、誰にも聞こえぬ小さな祈りを零したのだった。













■おわり■






『電脳たこ壷亭』の鴨キリ999により捧げさせて頂いた偽親子というか最早幻孔。もといエマ孔。お題は『列車(番号からの連想)』でした。色んな意味で夢見がちですみません。他所様に捧げさせて頂くに当たって何故このチョイスなのかと…。
拙作ではございますが捧げさせて頂きます。有難う御座いました。


2003/03/01






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