Living as a Person / YIN














「日本語を勉強したいんですけど」
「却下」
あっさりといなされて、ああそうですか、と部屋を出ていきかけて。
「って!理由も聞かずに却下しないで下さいっ!」
思わず釣られてしまいそうになったじゃないですかっ!と幻夜は孔明に食って掛かった。
「どうせろくでもない理由でしょう。聞きたくありません」
さあ出て行け、やれ出て行け、と手でしっしっ、と追い払われ、本物の犬のようにうー、と唸ってしまう。
「意地悪…」
「意地悪で結構です。そも、日本語のような複雑怪奇な言語を貴方が理解出来るとは、全くもって思えません。よって、勉強するだけ時間の無駄です」
にべもない云い方に、うる、と幻夜の瞳が潤んだ。
「どうして孔明様はいつだってそんな風なんですかっ…私が一生懸命になっているっていうのに、いつだって、いつだってぇ…」
本格的に泣きの入ってきたその声に、孔明が忌々しそうにチッ、と舌打ちをし、眉を顰める。
「せめて理由くらい聞いてくれたって良いじゃないですか…」
くすん、くすんとわざとらしく座りこんでカーペットを突付いて見せれば、具現化すれば床が抜けるのではないだろうかと思う程の重たい溜息が吐かれ
「…云って御覧なさい」
如何にも不承不承といった風体で孔明が云った。
ちょろい。
俯きながらそう幻夜が思ったのは内緒である。
「ええとですねぇ」
「嘘泣きですかっ!」
「まぁ細かい事は置いておいて。実は、草間博士との意志の疎通が取れないんです」
激昂する彼の肩をぽむぽむと叩き、幻夜は早めに話題を切り換えよう、と本題を口にした。
「草間博士と…ですか」
ふむ、と困ったようにやや柳眉をしならせ、孔明も考え込んだのかあらぬ方を見やった。
草間博士。
BF団の兵器開発責任者であり、科学面での事実上の幹部と云っても良いだろう。
その類稀なる頭脳と、卓越した技術。
彼の手によって成されない物は無い、と名高い科学者である。
幻夜はその博士の元で日々学び、来るべき日の為にアンチシズマドライブ関連の開発や実験等を手掛けているのだが。
「博士から学ぶのに、肝心の博士と意志疎通が出来ないのでは困ります。だから…」
「日本語なら、もう少しマシだと?」
「はい」
「それでもやっぱり無駄ですよ、幻夜」
再度きっぱりと云い放った孔明に、幻夜の不満はますます膨らむ。
「何でですかっ!」
「元々博士と完璧に意志の疎通を図れる人間なんて、この世界には存在しませんよ」
もの凄い云われような気もする。
確かに草間博士は性格に若干難ありだったりするのだが。
「えーと、意志疎通が完璧に出来なくてもですねぇ、やっぱりこう…微妙なニュアンスが英語では伝わり難いんじゃないだろうか、と思いまして」
食い下がるように云ってみれば、『それもそうだな』と独り言のように呟いて、孔明は再び手元の書類に目を落としてしまった。
放置である。
「…あの…孔明様?」
恐る恐る、嫌な予感を押し殺しながら声を掛けても、彼はいっかな顔を上げない。
ただ、さりさりと紙を走るペンの音がするだけだ。
「聞くだけは聞きました。まだ何か?」
「普通…こういう場合は、『じゃあ、こうなさい』って善後策を授けて下さるものじゃないんですか?」
「生憎ですが普通の精神は持ち合わせていませんので」
つん、と澄ました横顔を見ていると、噛みつきたくなってしまう。
言葉で、ではなくて直接攻撃として、だが。
そんな衝動を抑えながら、せめてもの腹いせにと策士の執務用机にだうー、とへばりつき、邪魔するかの如く彼の手元をじーっと覗き込んでやる。
尤もこんな事くらいで孔明の気が散る訳でもないだろうが。
「幻…」
「孔明様」
しかし、流石に十分もそのままでいられたのでは嫌だったのか、焦れたように孔明が声を上げかけた、その瞬間前。
別に意図した訳ではないが彼の言葉を遮る形で幻夜は、書類の中に頻繁に出てくる文字を指差し、師を仰いだ。
開けられているのは、レッドよりの書類だという事は署名で解ったのだが。
内容となれば何故か日本語で記されており、さっぱり幻夜には見当もつかない。
さすがレッド。我を曲げない男ではある。
自分も斯く有りたいものよと思いつつ、一方では絶対こうはなるまいとも思う。
「この…字は、何という意味なんですか?」
2本の曲線で表された、何となく柔らかなフォルム。
それを、慈しむようにつつ…と指で辿れば、見やった孔明が、ああ、と答えた。
出鼻を挫かれたのに珍しく怒らないのは、教える楽しさを感じているからだろう。
根っからの文官タイプなのだから、この男は。
「『人』ですよ。peopleとかman-kindとか…human-being、person…そういう類の意味合いです。そうですね…中でもpersonの意味が強いかも知れません」
与えられた単語を何故か指折りで確認しながらふうん、と頷いて、幻夜はもう一度その文字を見る。
「漢字には、その形・成立自体に意味があるんですよ。だから数も途方もなく多い。…別に貴方に限った事ではありませんが、圏外の人間が完璧に使いこなせるようになるには、相当な時間を費やすと思いますよ」
慰めているつもりなのだろうか。それとも諦めさせるつもりだったのか。
少しだけ優しい声音の孔明の言葉に、幻夜はしかし新たな興味をそそられた。
「じゃあ、この形にはどんな意味があるんですか?」
しまったな、と孔明の顔が顰められるが、一度食いついたら離れないのが幻夜の良い所だ。
と、自分では思っている。
孔明辺りに云わせると、粘着気質なだけ、と切って捨てられるのがオチだが。
「…それは、人間と人間が支え合っている図、なんだそうですよ」
じーっと見つめていると、ややあってから答えが返される。
「支え合っている?」
「そうです」
ついに諦めたのか、孔明は手にしていたペンを置くと、ほっそりとした指を指し棒の代わりにして、こつんと文字をつついた。
「この接触している部分を中心にして、背中と背中を合わせて二人の人間が立っている図、です。『人間とは、支え合って生きてゆくものだ』という教えを表現しているそうですが」
「背中…合わせ…」
その言葉に。何となく一抹の淋しさを憶えて、幻夜は己でもそれと気付かぬまま表情を曇らせた。
「?幻夜?」
「どうして、背中合わせでなくてはいけないんでしょうね」
ぽつり、漏れた、言葉。
それに孔明は『何を云っているのか?』という様に僅かに小首を傾げた。
ああ、この人には理解出来ないんだ、という思いが幻夜を更に淋しくさせる。
「支え合うなら、互いの事を抱き締め合うように向かい合うのが筋ではないでしょうか」
背中で向き合っていたのでは、相手がどんな顔をしているのか解らない。
辛いのか。
嬉しいのか。
支えは必要か。
私は貴方の為になっているのか。
だから。
「大切な人なら、大切なだけ、相手を――知りたいと思うのは可笑しいでしょうか」
「………」
ただ、その感情をどう伝えて良いのか解らずに黙っていると
「…可笑しくはないと思いますが…」
暫くの沈黙後、ぽつり、と孔明も呟いた。
「?」
「大切な人への気持ち一つだと、私は思いますよ。ただ御蚕包みで大事にしたいのか、それとも共に戦いたいという――気持ちなのか」
良く理解出来ずに、今度は幻夜が小首を傾げた。
「貴方の気持ちを否定する訳ではありませんが、そうやって抱き締め合う事で、人は何を得られるんでしょう」
云って、孔明は僅かに眼差しを伏せ――気のせいかもしれないけれど、少し淋しそうな顔をした。
「共に戦うという事は、相手を尊重するという事だと私は思います。また、相手を信頼しているとも。ただ護り合うのは、相手を軽視しているようにも取れませんか?」
クス。
僅かに孔明の口角が持ち上げられ、微かな笑いが零れる。
「敵が周囲を取り囲んでいて、それでも抱き合っていれば自滅するのみです。でも背を向け合い、支え合う事によって、ひょっとして二人共助かるかもしれない。感情は、何も向き合う事でのみ知り得る訳ではありません。背で感じられる程、信頼し合い、また解り合えるならそれは、素晴らしい事だと思いませんか?」
幻夜は想像する。
絶望的な状況にあって、大事な人と二人きり。
そんな時自分なら、どうするか。
「抱き合う事に意義はあるかも知れません。けれど、それらも命があってこそのもの。ならば――私は背を向け合いたいと思いました」
共に、戦って、共に、生きたいと。
例えそれで刀折れ矢尽きようとも。
彼がそう云いたいのは、察する事が出来た。
「淋しくなどなく、寧ろ――幸せなのではないか、と」
共に戦える程、無防備に背を預け合える程、途方もない信頼を寄せるに値する人とならば。
再び孔明が薄く微笑んだ。
けれどそれはいつもよりも格段に、何処か力無くて。
何が彼をこんな風にさせたのだろうと、先刻までの会話を振り返ってみたが思い当たる節も無く。
ただふと思ったのは――ひょっとして彼は
「まぁ尤も」
と、幻夜の思考を中断させるかのように、孔明の声が割って入った。
「私には縁遠い話ですが」
自嘲的な笑みに、やはり、と思う。
そんなもの要らない、そんな存在は必要無いと云っている様でその実、彼は誰よりもそういう存在を求めているのかも知れない。
自分と対等にいられる者。
自分が安心して背を預けられる者。
自分が――共に戦いたいと思う、者を。
けれどそれを口にする事が無いのは自尊心か、諦めか。
何て――悲しい。
「…それでも、貴方も『人』ですから」
思う間も無く、語り掛けていた。
ただの推測にしか過ぎない孔明の心中を想って、声が震える。
「?」
「きっと、嫌でも現れます。共に『人』の字を綴れる相手が」
歪む笑みを無理矢理彼に向け、幻夜は『ね?』と念を押した。
「……幻夜…」
「そうですね、それまでは私が代わりに!」
「いらん」
「早!」
考える間も無く返された言葉に、思わず習い性で突っ込んでしまう。
何だよー、人が折角…と心中深くで呟けば、孔明の黒曜の瞳が僅かに――まるで動揺するかのように?――揺れていて。
きっと、こんな風に云われる事も無かったんだろうと容易に想像出来てしまう。
人慣れしていない、獣のようだ。
「そりゃ貴方と背中を預け合うには役不足だって解ってますよ。でもね?」
と、ぐいと身を乗り出して顔を覗き込めば、少しだけ興味を惹かれた様に柳眉が上げられた。
「一方的に背中を預かるくらいなら、私にも出来ますから」
もしも、貴方が『たった一人の誰か』を見つけ、その字を綴るとしたら。
貴方はその人に背中を預けたりするのだろうか。
きっと、違う。
容易に人を信じない貴方に『その人』が見つけられるかどうかは定かではないし。
見つけたとして、『その人』を安易に危険に晒すような真似はしないだろう。
そうして結果的に自分だけ傷付き――独り、消えてゆくのだ。きっと。
彼自身も、それは解っているに違いない。
だからこそ、『理想論だ』と云わんばかりに嘲笑して見せた。
ああ、なんて――悲しい。
ならばこそ。
知ってしまったからこそ。
強気な背中を黙って後ろから抱き締めて。
無理矢理にでも『人』になろう。
私も貴方も何かを欠いて生きている。
そして、それを正しく取り戻す事は無いのだから。
憎しみや、絶望や、涙がその欠損を埋めてしまっているから。
傷の――舐め合いだと貴方は侮蔑するかもしれないけれど。
せめて、共にいるほんの僅かな間だけでも埋めて上げられれば良いと――。
ねぇ、一緒に『人間』になりましょう?


「……何というか…」
たっぷりと間を置いて、本気で呆れたように孔明は溜息をついた。
「何、ですか」
「呆れるくらいに前向きな人ですねぇ、貴方は」
褒められたのだろうか、貶されたのだろうか。
非常に微妙なところではあるのだが。
「まぁ…でもそれが貴方の良い所、なのでしょうが」
褒められた。
断定しておく。
滅多に無い事だし。
「…そうですねぇ、貴方程明け透けな人になら、私も安心して背中を預けられるのかも知れませんね」
何せ裏表がありませんから。
単純馬鹿ですし、と結果的には倍程貶されているのだが。
「――…え…」
それは幻夜の耳には入っていなかった。
突然――本当に思いもよらない事を云われ、かあぁっ!と顔が熱くなってくるのが解る。
どうしよう。
まさかこういう対応をされるとは思ってもみなかったのだ。
ううう、と困りながら下げた眉の下から見れば、孔明も怒ったように僅かに口元を尖らせて視線を逸らし――でも、目許が仄かに色付いている。
何をやっているのやら。
双方の顔に、そうはっきりと書かれているのが互いの瞳の色で解って。
ほぼ同時に、微苦笑に似た笑いが互いの口から零れ出た。
「ああ、ですが万が一そんな事になっても、私は絶対に貴方の背中を護ったりはしませんから、その点は留意しておいて下さいね、幻夜」
「云うと思ってましたよ…」
普段の物に切り換えた笑みで以って孔明が毒を吐くのに、幻夜は僅かに片眉を歪めるという器用なやり口で答えた。
別に誰よりも大切に想っている訳じゃない。
けれど気持ちが解るだけに放っておけない。
私も、貴方も皆同じ。
『人』になり損なったまま、生きていくのは淋しいから。
今だけで良い。
仮初めで良い。
誰かを支える事で、私もまた『人間』になれるのだから。
(ま…『人間性』は容とは関係無いものな)
甚だ失礼な事を考えれば、テレパシー能力でも有しているのか孔明がふい、と顔を上げる。
「幻夜」
「はっ!はいっ!」
「?何をビクついてるんですか。暇だったら資料出しをして下さい」
訝しむような顔つきに『はーい』と良い返事を返して、彼に背を向けると、ふふっ、と一つ肩を揺らした。
悪い――気分じゃない。
貴方もそうでしょう?と幻夜は胸中でそっと、優しく囁きかけた。
(ねぇ…)



――ねぇ、一緒に人間になりましょう?













■おわり■






オフライン再録の銀呉版の対として発行しようとしていた偽親子版。
毎度の事ながら草間(父)好きの方には申し訳無い描写になってしまい…お詫びのしようもありません。謝るだけなら猿でも出来るのですが。


2003/02/01






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