漂えど沈まず














頑是無い子供のようにただ、縋りついたこの手を――。










突然混世魔王・樊瑞が従者も付けず、先触れも無しに策士の部屋をおとなったのは、『地球静止作戦』が終息を告げてから、丁度十日後の事だった。
「樊瑞殿、御機嫌麗しゅう。如何なさいました?その渋面は」
にっこり、と微笑んでみせるが樊瑞は取り合わない。
取次ぎのC級を押し退けるようにして部屋に入ってくると、後ろ手に扉を音高く閉め、彼は孔明を睨みつけた。
「お主は…何のつもりだ!」
「何か」
彼が何を云いたいのか、孔明はとうに察知していた。それくらい鋭くなければ、策士など勤まり様も無い。
樊瑞が此処に来る事さえ予測済みだった。
尤も――先刻程行われた提案会議中であれ程睨みつけられていれば、そうと解らぬ方がどうかしている。
「前(さき)の戦いであれ程の十傑集を失っておきながら…喪も明けぬ内に国際警察に闘いを挑むなど…正気の沙汰ではない!」
案の定の口上に、孔明は『まぁお座り下さい』とソファを勧めると、自分もゆったりと腰を掛ける。
本当に解りやすい人だ。
その解りやすさが愉しくて、今迄色々と(わざと)いざこざを起こし、この人の反応を愉しんだものだけれど。これからは――早々遊んでも居られない。何故なら、主が真の目覚めを果たしたのだから。
幻夜の齎した静止作戦の最後の一幕で、BF団は兼ねてよりの念願であった主の居城、バベルの塔の在り処を発見した。
それは、主による世界統括がいよいよ始まるという前触れ。
孔明もじきに――否、既に忙しくなってきていた。
昼夜を問わぬ主からの召還。その願いを、そして意を受け動き、それを他のBF団員に下知する。
言葉にすればたったそれだけの事だが、肉体的には勿論、精神的にも酷く消耗する事ばかりだ。
事実、ここ一週間で体重が5キロも減ってしまった。
何せ、静止作戦の一件であわや十傑集裁判に掛けられそうになった孔明の言に、素直に従う者達は今や少ない。
「正気の沙汰ではない…と仰せられましても…」
クス、と扇を揺らがせれば、嗤いがカンに障ったのか樊瑞が鼻の頭に皺を寄せる。
「誤解されているようですね。これも凡てビッグファイアの御意思なのですぞ?」
「誠か?!」
真っ直ぐな紫紺の瞳が、真っ直ぐに自分を射抜く。
今までならばこの切り札――『ビッグファイアのご意志』で彼を捻じ伏せられたというのに。
静止作戦は余りに多くの物を孔明から奪っていった。
「私をお疑いになると仰るので?困りましたね、私には証の立てようがない」
『狼が来る』と嘘ばかりついていた少年が、本当に狼を発見してそれを告げても時既に遅く、誰も少年の云う事を信じなかった――まるで、あの御伽噺のようだ。
「疑って…おる訳ではない。少なくとも儂はな」
樊瑞は孔明の向かいに腰を下ろしていたが、孔明が肩を優雅に竦めて見せるとずいと立ち上がり、ずかずかと大またにこちらに歩み寄ってきた。
だが、横に腰掛ける訳でもなく、ただ傍に突っ立って自分をじぃと見つめ続ける――そうしていれば、真実が透けて見えるとでもいうように――だけで。
その姿に、ついまた笑いが孔明から転げ落ちる。
と、それを侮辱と取ったのだろう、樊瑞は顔を紅潮させるとぐいっ!と乱暴に孔明の胸倉を掴み上げ、引き摺り上げるように立ち上がらせた。
く、と息の詰まる感覚に、けれど孔明は怯む感情はおろか、息苦しささえ浮かべてはやらない。
もう、この人に対して感情を動かすのは止めたのだ。
もう、この人との遊戯は終わった。
もう、自分のこれからは主の為にあるのみ。
「私が…嘘や誤魔化しを申し上げていないという事を貴方は御存知の筈です」
静かにそう云って、孔明は己の首元近くにある無骨な手に、そっと手を添える。
自分の手の冷たさは良く知っていたが、触れ合った瞬間に樊瑞が大仰に震えたのを見て、また可笑しくなった。
だが、笑って相手の機嫌をまたぞろ損ねるのも時間の無駄というもの。
努めて流し、孔明は淡々と云う。
「あの方の為にならぬ事などせぬ、と」
「っ…それは…」
やや、樊瑞の手が弛んだ。
お互いが、お互いを良く知っていた。反目しあっていたのは伊達ではない。
誰を至上に据え、誰の為に生きているか等、二人の間では愚問でさえあった。
「確かに…お主の言は真実ビッグファイアのご意志だろう、だが、他の者にそれが正しく伝わると思っておるのか?この状況で」
気付けば、樊瑞の顔から怒気が消え失せていた。
残っていたのは何だか少し――哀しそうな表情。
だが、何故。
「…何故、ボスに奏上せぬ。御自らお出で頂くように、と」
「そんな恐れ多い事が出来るとお思いですか?」
「御自らの言葉を、我々に直接頂けないか、と」
「出来かねますね」
「孔明!」
引っ張られて、頤が仰のく。
眉一つ動かさぬ事に苛立ったのか、微かに樊瑞の口角が震えていた。
「ならば、せめてもう少し時期を見て頂く様、何故進言せぬ!お主はビッグファイア様の為の人柱になる気か!!」
「!」
何を云われても、心を動かすつもりはなかった。
なのに、投げつけられた言葉に掛け値無しに驚いてしまう。
猜疑ではなく、この人が今自分にぶつけていたのは何という事か、労わりだったのか?
二つめの何故、が孔明の胸にすとん、と落ちた。
「これは――異な事を。…私を心配して下さっているのですか?」
ふふ、と見上げながら笑うと、樊瑞の指が遂に解けて、するりとシャツから離れる。
「違う、儂は――」
違わない。
声に出さずに、そう思った。
この感情が、何より自分と樊瑞を隔てる物だと思う。
『人らしい』のだ、樊瑞は。
『人でなし』なのだ、自分は。
故に反目し合った。
故に――惹かれてしまった。
「貴方は人が好い」
今度は逆に労わるような声を掛けてやると、居た堪れないと云うかの如く、樊瑞は片手を額に押し当て、俯いてしまう。
けれど、背がほんの少し低い分だけ、孔明からはその表情は丸見えだ。
いつだって、隠したつもりで、そんな風に隠しきれずにいらっしゃいましたね、混世魔王殿。論争したのも、何もかも、もう遠い昔のようだ。
「お嫌なのでしょう?私一人に暗部凡てを背負わせているようで」
「儂、は――…」
「偽善ではなく本気なのだから…本当に貴方と云う人は…」
意識せず、手が、伸びた。
そ、と慰撫するように俯く頭を撫でれば、紫紺の視線がゆっくりと上がり、自分を見つめる。
「私も貴方も皆、自分の秤で生きている。貴方がこの事に関してそう申されるのも、貴方の秤。そしてそれでも私は私の道を行く、それが私の秤。自分が生きたいと思ったように、生きる。それが出来ないようであれば生きていても死んでいるのと同じ事」
主に添って生きると決めたあの日から、それが孔明の信条。
「それが、他にどう映ろうと私は意に介しません」
だから、どうでも良いのだ。
十傑集達が何を疑い、自分を十傑集裁判にかけようとも。
部下達が自分を胡乱な目付きで見ようとも。
正しいか正しく無いかを決めるのは彼らでも、自分でもなく、主だから。
主体性の無い生き方だと揶揄されようとも知った事ではない。
「孔明…」
樊瑞の感情、それは嫉妬や羨望等という醜い感情から派生しているのではなく。
きっと恐らくは孔明には理解出来ないような高尚な感情。
愛や友情でも、ましてや、ない。
尤も、感情に高尚というレヴェルがあるのならば、だけれど。
「…お話がそれだけなら、もうお行き下さい。お茶の一杯も振舞って差し上げたいのですが、生憎御存知の通り、酷く忙しいのです」
促すように、頭を撫でていた手を肩に下ろしてぽんぽん、と叩いてやれば――
「孔明…っ」
「!」
ぐい、と強く身体ごと引き寄せられ、そのまま共に床に膝を付く。
動かすのを止めた、と決めた筈の孔明の感情が――激しくぶれた。
「樊…っ」
身を捩って厭うが、身体に回された腕の力はいっかな衰えない。
それどころか寧ろ強く、強く――。
「お前は、強い――」
樊瑞の声は、震えていた。
「その強さが我々にとって…儂にとって脅威としかなり得ないのが…惜しい、と思う」
「――……」
頑是無い子供のように、額が肩口に押し当てられる。
そこから流れ込む、樊瑞の豊かな感情。
自分には無い物を凡て持った存在。
もしも、主に出会う前に彼に出会っていたならば。
私達はどんな二人だっただろう。
神成らぬ身ではあるが、孔明には自分達の行く末がはっきりと見えていた。
自分達は、それぞれのやり方で主に仕えている。
そしていつかその違いが、お互いを殺そうとするだろう。
きっと、そんなに遠くない未来に。
「――自分の外部に多くを依存する事は、弱さと云えるでしょう?」
孔明の指から力が抜けて、片時も離す事の無い羽扇がそこから転げ落ちる。
けれど、決して樊瑞を抱き締め返そうとは思わなかった。
抱き締め返す事は、出来なかった。
「その定義から云えば、私は決して貴方が仰るように強くないし、貴方がたは弱くない。強くありたい、と願う事。その為に自分の弱さを知る事、が強さではないかと私は考えます」
こんな事はもう、今日で最後だ。
今日を最後に言葉すら無くしてしまいたい。
そうすれば、主の意思以外を語らずに済むのに。
己の心情を零すような真似など、しなくても済むのに。
「私は、自分の弱さを知らぬ、弱い人間ですよ」
抱き締め返す代わりに、押しつけられた頭にふわ、と頭を寄せる。
まるで共に嵐から身を避ける、小鳥のように。
「ね、樊瑞殿」
ただ縋りついたこの手の力を温もりを、一生涯自分は忘れ得ぬだろう。
多分、死んでも。
「…泣いておられるのですか?」
「泣いてなど…おらぬ…」
微かに震える身体。
優しい、本当に優しい気持ち。
眩しくて目を逸らしたくて。
見つめていたい、愛しい存在。
主には決して抱き様の無い、想いをこくん、と飲み込むと、
孔明は一つ、切なげに笑みを落とした。


きっと、一生涯忘れ得ぬだろう。
そう。
この手が、自分を殺すその日が来るまで――。













■おわり■






入院中に相方が「お見舞い」と称して描いてくれた漫画(たかば庫収納「雨。」)にくっ付いていたおまけイラストから派生した孔樊(と云い切る)です。この二人に関しては実は精神的には孔樊、というのが好みです。でも樊孔ですけど(笑)。
理解し合っても決して同じにはなれない二人。手を伸ばせば届く物理的距離が届かない。届かせられない。そんな『いとこいせつな』な二人が好きです(夢見過ぎですみません…)。


2003/02/15






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