IN THE HOLIDAY MOOD |
混世魔王・樊瑞は疲れた身体に鞭を打って、部屋への道を歩いていた。 常日頃ぴんと伸ばされた背中が今日は少しばかり、丸まっている。 疲れているのだ、自分でもそう思った。 ここの所、大きな件案が相次いでいて、勢い打ち合わせの為に孔明と協議する事が多くなる。 彼と――あの掴み所の無い策士と論議する事は、途轍も無いストレスを樊瑞にもたらすのだ。 何が問題という訳ではない。 ただ、理詰めで来、その上全く摺り寄せの余地さえ無い応酬に、時折ついて行けなくなる。 孔明の意見は尤もな事が多い。 彼自身もそれを信じているのだろう、譲る事無くこちらに噛みついてくる。 樊瑞も自分の譲れない部分は強硬に主張するから、まるで喧嘩のようになってしまって。 いつまで経っても平行線な自分達。 何故、こうなってしまったのだろう。 いつからこうなってしまったのだろう。 マイノリティーグループである自分達には結束は欠かせない。 幹部同士の対立は畢竟、全体の士気にも関わってくる、そうは思うのだが。 いつか――分かり合える日が来るのだろうか。 そんな未来を想像すら出来ず樊瑞は深く溜息をつき、ひたすら惰性で足を動かした。 今日はもう、仕事は放って休んでしまおう。 薫り高いお茶を飲んで、熱いシャワーを浴びて、一晩眠れば気分も変わる筈。 否、変わっていれば良い。 ふわふわとした足触りの、厚い絨毯を踏み拉(しだ)きながらそう――希望的観測を抱いた。 「邪魔をしているぞ、樊瑞」 「残月…」 執務室に戻った樊瑞は、予定に無かった来客に少しだけ驚いた。 他の十傑集ならとにかく、残月は几帳面な性格をしているので予定があれば必ず事前に通達を出してから訪れるというのに。 何か非常事態でも起こったのだろうか。 一瞬そう危惧すると、それを見透かしたように残月が口元を綻ばせる。 「いや、特に用事という訳では無いんだが…前に樊瑞が探していた本が偶然手に入ったから、外に出た序でに持ってきただけだ」 はい、と重厚な造りの本を手渡され、樊瑞は思わず相好を崩した。 ずっと探していたけれど、中々手に入れる事が出来なかった本。話の流れで何となく残月に漏らしたのは、ほんの一週間前。そんな何気ない話を覚えていてくれ、そして探し出してくれたのか。 わざわざ。 それを『偶然』だなんて云い訳のように云う残月に、口には出さずに樊瑞は感謝した。 「すまんな、残月。まぁ掛けてくれ、茶でも出そう」 「いや、気遣いは無用だ」 そのまま自分の横を通り抜けて出ていこうとする彼の進路を塞ぐように、樊瑞は扉の前から動かぬままにソファを指し示し、微笑む。 「そう云うな、儂も一服したい気分なのだ。――付き合ってはくれぬか?」 「…樊瑞がそう云うのなら」 僅かに顔を傾げて同意を示した残月がソファに掛けるのを確認してから、樊瑞はぽんと手にしていた書類ケースを机の上に放ると、別室に移動して手際良く茶の準備を整えた。 普段から茶だけはC級達の手を煩わせる事無く、自分で淹れるようにしている。 別に他の人間が淹れた茶が不味いとか、そういう訳ではないのだが。 そこまでされてしまうと、自分が箸の上げ下げすら一人で出来ない存在になったようで、嫌なのだ。 茘枝茶の馥郁とした香りが細い注ぎ口から広がり出、漸く気持ちが上昇修正され始める。 単純な己の思考回路に苦笑しながら茶器と共に、樊瑞は残月の待つ本室へと戻った。 「待たせたな」 「いや…すまない」 彼は樊瑞の書棚を物色しているようだった。 仕事に役立つ物、仕事をする上での気持ちに色を添える物が多種多様に納められている其処は、本人ですら目的の物を探すのに時間を取られる程、整理がされていない。 それを気恥ずかしく思いながら残月をソファへと促し、自分もその向かいに腰を下ろした。 暫く茶の香りと、沈黙だけが部屋を漂う。 と 「…何かあったのか?」 一口含んで茶器を置いた残月が、尋ねてくる。 「?」 「冴えない顔をしている」 怪訝(おか)しい。 彼が部屋にいたのが分かったから、即座に表情を改めたというのに、と思っていると揶揄う様に『樊瑞はすぐに顔に出るから。隠し切れてない』と云われてしまった。 「お主は読めぬな」 単純だと笑われているようで悔しくなってそう切り返すと、今度は反対に残月が首を傾げる。 「…すまない、今のは突っ込むところか?」 残月が自分の顔を指差した。 口元以外がマスクに覆われている、顔を。 「いや…忘れてくれ」 別にそういうつもりではなかったのだが、思いっきりボケてしまったようだ。 外した笑いの後に訪れる気拙さのようなものに自己嫌悪し、樊瑞はずず、と茶を啜って答える。 「少々孔明とやりあって、な。まぁいつもの事だ…大した事はない」 実際は『少々』どころでは無かったのだが、遠慮のようなものが先んじて、敢えてそう云った。 わざと心配させ、人の気を引くようなやり口は取らない主義だ。 けれど残月は僅かに、だがはっきりと首を振って樊瑞の言葉を否定した。 「それだけではないだろう」 「……?」 「最近いつも、とても――疲れた顔をしている」 残月が凭れていた背中をひょいと起こし、樊瑞の顔を応接机越しに覗き込んで来る。「溜息が多くなった。ぼうっとしている事も多い。――爪に筋まで入っている、生活が乱れている証拠だ」 ほら、と手を取られて見れば、確かに親指の爪に縦線が入って、がたがたになってしまっていた。 「…良く知っておるな」 本人でさえ気付かないような事だったのに、と感心しながら云うと 「私は樊瑞の目付け役だからな」 戯ける様に答えながら、残月がぱっと手を離した。 「いつから、だ」 「私が十傑集に入ってから。カワラザキに直々に云われたのだ、『目を離すとすぐに無理をしおるから』と」 人を子供のように扱って…と心中で呟くが、それを直接残月や、ましてやカワラザキにぶつけるつもりは毛頭無かった。 どうせ『原因がどの辺にあるのか解っているのか?』と云われるのは目に見えている。 原因は他でもない自分自身だ、自覚はあった。 自覚があるのと、ちゃんとするのとはまた別次元なのだけれども。 「オーバーワークなのではないか?」 ちら、と残月が顎を僅かに執務机の方へと差し向けた。 書棚と同じく、書類がごっちゃになってたっぷりと積み上げられている机を。 「いや、そうでもない」 「嘘だな」 誤魔化しは、即座に否定された。 否定を否定する事も許されないような、ついぞ聞いた事も無い残月の厳しい声。 (こんな風に…怒った様な声も出せるのか) 「十傑集としての任務も熟(こな)し、尚且つリーダーとしての仕事も抱えて。一体今週、何時間睡眠を取った?」 「はは…まるで母親の小言のようだな、残月」 「…笑うところじゃないぞ?」 ぴしり、と云われて樊瑞は肩を竦めた。 「ああ、すまん。そういう訳ではないのだ」 「少し他に回す事を考えろ、樊瑞。その内過労死するから」 可笑しくはあったが、同時に少し口惜しい気分にもなる。 キャパが小さいと云われているように受け取るのは、被害妄想だろうか。 (心配――してくれるのは嬉しいのだけれども、な…) 「孔明はもっと山のような書類を抱えているぞ。あれに出来て儂に出来ぬ事はあるまい」 「詰まらぬ意地を張るな。人には向き、不向きがある。それに孔明には、樊瑞が請け負っている『実戦』としての仕事は無いのだから」 反発心をそのまま口にすれば、逆に窘められた。 「彼奴を見て向上心を抱くのは大いに結構。だがあれと樊瑞とではカラーが違う。それが解らぬ訳ではないだろう?」 残月の茶器から立ち上る湯気を樊瑞は暫し見つめ、言葉を探し倦(あぐ)ねる。 解っている。 孔明に無駄な対抗心を抱いている事くらい。 けれど、彼と対等な位置に立とうとするのならば、彼と同じ領域を治めねばならないだろう。 孔明があんな風なのは、きっと『誰か』を待っている所為だろう。 誰か、彼の傍らに同等に並び立つ人物を。 それを待つが故に、それ以外の人間に対してあんな風に振舞うのだ。 もし、自分が彼に追いつけば。 彼と共に走れたのならば。 孔明も――変わるのではないか、と。 「…何も、同じ所で頑張る必要はないだろう?」 黙って考え込んでいると、先刻より柔らかくなった残月の声が掛けられた。 いつのまにか俯いてしまった頭を上げれば、彼は真っ直ぐこちらを見つめていて。 その瞳の色は全く見えはしなかったけれど何故か。 慈愛に満ちているように、思えた。 「樊瑞には、樊瑞のカラーがある。何だか今の樊瑞は…孔明に阿(おもね)っているようで、嫌だ」 その言葉に樊瑞は、含んでいた茶をぶうっ!と噴き出しそうになり、慌てて堪える。 だが時既に遅し。 堪えた所為で器官に入り込んだ液体が、激しく樊瑞を咽させた。 「だ、大丈夫か?」 「残月…お主は物凄い事をさらっと云うな…」 げほげほと咳の合間に涙目で云えば、そうか?と読めない表情だけで問うて来る。 揶揄われているのか、それとも単に思った事を素直に云っただけなのか、解らないだけに始末に負えない。 漸く収まった咽喉を正常稼動させる為、もう一度――今度はうっかり咽ないように細心の注意を払って――茶を飲み、樊瑞は苦笑いを零した。 「強(あなが)ちそれだけでも無いのだ。…未だ、此処は色々と多くの問題を抱えているからな」 その言葉に嘘や誤魔化しは無い。 ただでさえ『テロリスト』がマイノリティー化している昨今。 抵抗勢力や国際警察機構の面々に押され、歯が抜け落ちるように同士が減少していく。 幹部がそう多くなく、ましてやその殆どが『デスクワーク』をよしとしない者ときた日には、比重が掛かってくる所は限られてくるだろう。 そう云うと 「だからそれを…云い方がまるで孔明のようだが、『上手く使う』のもリーダーの手腕だろう」 「……」 「それに、そんな風に一人で頑張っている姿を見せられる身にもなってくれ。…まるで、信用されていないようで時々辛くなる。尤も…私は新参者で、ましてやこんな隠蔽された姿だからな。信用など出来ないのも無理は無いが」 「!違う、それは誤解だぞ!」 (儂が皆を――残月をも信用していない?そんな事は有り得ない) 大慌てで否定すると、残月の真顔がふと崩れ、悪戯っぽい笑みが彼の口元に宿る。 「解っている」 「残月…儂を謀(たばか)ったな!」 妙に恥ずかしくなってそう怒ると、残月は『済まない』とまた笑った。 「そう怒るな、謀った訳ではなくてちょっと云ってみただけだ。…拗ねているのかもな」 案外子供っぽい口調で云って、残月が決まり悪そうに肩を竦める。 樊瑞は彼の素顔を見た事が無いから、年など知り様も無いのだが――思っている以上に若いのかもしれない。 否、年など関係無いのだ。 彼の言葉はいつも含蓄があって、自分に色々な事を教えてくれるから。 「樊瑞の性格だ。頑張りすぎて後ろにいる私達の事を忘れてしまうのだろう?」 「…別にお主等を軽んじている訳ではないのだぞ?」 「それも、解っている」 否定出来ずに、けれど肯定するのも何だか抵抗があってそう零せば、残月は鷹揚に頷いてくれる。 『解っている』、その言葉がどれ程自分の気持ちを楽にするか、きっと彼は知らないだろう。 「だがそれはきちんと覚えていてくれなければ、困る。樊瑞をリーダーに据えて、後は丸投げしている訳ではないのだから。私達は、頑張り屋のリーダーを支える為にも存在しているのだから」 残月の言葉に誘われるように、朋輩の顔がふと脳裏に浮かんでくる。 不甲斐無い自分を、いつだって許すように笑ってくれる彼等。 時には揶揄われたり、時には煽てられたり、けれど一様に皆、自分が振り返るのを待っていてくれている。 「だから、ちゃんと思い出してくれ。今日みたいに孔明とやりあう時にはカワラザキや十常寺を連れて行けば良い。あの二人相手なら孔明だってそう簡単にやり込められない。書類の整理くらいなら私も手伝える」 「残月…」 「樊瑞は、一人ではない」 言葉が、ゆっくりと染み込んでゆく。 余り口数の多い男ではないと思っていた。 話をした所で、こんな風に己の心情を口にするような男ではないと。 (まだまだ儂には…人を見る目が無いな) 樊瑞は、残月を見つめて微笑んだ。 彼はいつもこうして自分の足りないものを補ってくれる。 見守るように、見つめていてくれる。 その名に相応しく、夜のみならず昼の空にも尚残る月の様に。 「…そうだな」 頷いて樊瑞は、孔明の事をまた考えた。 自分には振り返れば彼等がいるけれども。 孔明には――きっと、まだ、誰も。 それが悲しくて。 哀れまれるのは彼の望むところでは決して無いだろうと解っていても。 願わずにはいられない。 いつか、彼にもこうして息のつける場所が出来れば良い、と。 ぎりぎりで張っている糸を、ほんの少しでも緩められる場所が出来れば良い、と。 もし可能ならば、それが自分達であれば良い、とも。 自分達は他でもない、ここで出会った者達なのだから。 「儂は幸せ者だな、残月よ。お主がいて…他の者達もいてくれる」 「その通りだ」 有難う、口唇だけを動かしてそう云い、樊瑞は小さく微かに頭を下げて相手への敬意を表する。 すっかり気分が変わっていた。 いつのまにか気付かぬ内に、自分を高見へと押しやってくれる存在の有り難さ。 彼等と一緒だから、また頑張ろうと思えるのだ。 「ああ、そうだ、疲れているのなら針を一本、打ってやろうか?」 少し照れているのだろうか、残月がいきなり話題を変えてくる。 「序でに物忘れをしなくなるツボにも、どうだ?」 云いながら、いつ出したのか彼の手には既に針が握られていて。 応接机越しだというのに、思わずその鋭さに樊瑞はソファの上で後ずさりしてしまう。 「…遠慮する」 「何故だ、効くぞ?針治療はそちらのお国芸だろう」 思いっきり眉を顰めて言葉以上に表情で『否』を顕著にしたのに、それを遠慮と取ったのかそれとも嫌がらせなのか、残月が尚も迫ってきた。 仕方無しに樊瑞は、本音を吐く。 「…痛そうだからな…」 「!」 途端、珍しく――というか、初めて見た――残月がぷっ、と吹き出した。 「笑うなっ!」 「ハハ…樊瑞は時々、子供のような事を云う」 「……」 むう、と膨れて見せればますます残月は笑う。 それにつられる様に、樊瑞も笑った。 息をするように当たり前に、傍にいてくれる、心安い者達。 彼等と笑い合える事。 それを『幸せ』だと感じられる心。 恵まれていると切に思えるひととき。 有難う。 そう心の中でもう一度樊瑞は呟く。 貴方に――貴方達に出会えた事に、感謝しよう。 ■おわり■ 1000HITリクで、お題は「樊瑞」。なので残月と一緒に書いてみました。残月初書きです。 何故かうっかり策士が出て、喧嘩仲間と保護者のような社会の縮図的な話に…。 リクエストして下さった高野様に捧げます。有難う御座いました。 2003/03/08 |
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