EMPTY NOTION














「今日の実験は終わりです」
無機質な声がエマニュエルを覆う。
冷たい寝台――と云えば聞こえが良い、被験者用の台座からゆっくりと身を起こし、少年は口唇を噛み締めた。
BF団に入ってからもうどれくらいの日が経ったのだろう。
まだ半年にも満たない事は解っているが――その殆どの日々をエマニュエルは此処、実験室で過ごす事を余儀なくされていた。
凡そ生きた人間が居るに相応しいとは思えない金属的で、無臭の、苦痛しか与えられない、寒々しい部屋。
静かに重く響く機械の作動音、低くぼそぼそと話す実験者達の声、裸身につけられる枷にも似た実験器具の感触。
そんなものばかり憶えていく、身体。
エマニュエルは深く重い溜息をつくと、台座の横に丸めて放って置かれた上衣を取り、手早く身に纏って部屋を出た。
『実験体』に向けられる無遠慮な、好奇の視線を感じぬよう、俯きながら。


「今日は随分早いのだな、幻夜?」
実験の報告を行なう為、エマニュエルは気の進まぬまま策士執務室を訪なっていた。
目の前には指を頤の下で組みながら、何処か上機嫌そうに微笑む孔明が座っている。
この部屋は実験室と同じくらい、嫌い。
この部屋の主が何よりも、嫌い。
「…その名前で呼ぶな…」
何時間ぶりに声を出しただろうか。
やや掠れ気味の声を剣呑に彩らせながら、エマニュエルは孔明をねめつける。
しかし、一枚も二枚も役者が上な策士は、そんな視線など無いもののように口角をくい、と上げただけで、呼び方を訂正する事は無かった。
「では、今日の報告を聞こう」
「……いつまでこんな事を続けるつもりだ」
低く、唸るような声。
そんな音を自分が出せるとは思ってもみなかった。
今までは。
今なら――この屈辱的な日々を送る今なら、何だって出来そうな気がする。
きり、と爪が掌に食い込み、鋭い痛みがより一層エマニュエルを高揚させた。
「こんな事、とは?」
「いつまで僕を実験体扱いすれば気が済む!」
「可笑しな事を。希少なテレポーターを前にして、それを有効利用せぬ手は有るまい?」
「僕とお前は対等な取引を行なった筈だ!それをっ…」
激昂が、声を震えさせる。
それをこの男に対する畏怖だと取られはしないか、少し気掛かりになったが。
でも一度零れ出した言葉を止める術など、自分は知らない。
「対等?」
くっ!と孔明の喉が鳴った。
「何が可笑しいっ!」
「対等…対等、な。これが笑わずにいられるか、幻夜よ。お前が私との『取引』の対価として何を払ったというのだ?」
弓なりに眇められた瞳から感じるのは――紛れも無い侮蔑。
かあっ!と頬が紅潮するのが自分でも良く解った。
「僕が持ってきたあのシステムを忘れたとは云わせない!」
「あれはまだ利用するに足りぬ、片手落ちのシステムだ。対価には値しない」
『今』受けている恩義に対して後払いをしようなどと――図々しい、と揶揄うように孔明が謳った。
「父さんの造ったサンプルを役立たず扱いする気か?!」
「今の所使えぬのなら、そう取られても仕方の無い事だとは思えぬのか」
将来的に役に立てば、お前が払い過ぎた対価を返してやろう。云って、男は僅かに首を傾げた。
「役に立てば、だと?立つに決まってる!僕の父さんを何だと思ってる!」
「鬼籍の者は此岸に居た時よりも輝かしく見え、また悪し様に云われもする。己の価値観を他人に押し付けるな」
くらくらと眩暈がしそうだった。
孔明の不遜な物云いで、頭に血が上りすぎた所為だろう。
この男は――目の前のこの男は、エマニュエルが唯一無二の真実と掲げた人を汚している。
「僕の云う事が正しいに決まってるっ…!僕を誰だと思ってるんだ!」
だって、自分はあの父の最期を見届けた、たった一人の人間。
そして全世界の中で恐らくたった一人、父の偉業を知っている人間。
その自分が云う事を否定するなど、とんでもない話だ。
「お前が誰か、だと?」
と、すいと孔明が立ち上がり、机の周りを通って、エマニュエルの眼前に立った。
亜細亜系の中でも珍しいだろう、どろりとした闇を思わせる純黒な瞳がエマニュエルを射竦める。
「ただの、子供だろう。親の威を借りて自分が偉いつもりでいる――愚かなただの子供だ」
「貴っ様…っ・…痛っ!」
反射的に怒鳴ろうとしたエマニュエルの白く伸びやかな喉を、孔明の指が不意に鷲掴みにした。
「下らぬ『名前』に拘ってみたり、逆らうべきで無い相手に逆らってみせたりする――物知らずも甚だしい子供だ」
僅かな斟酌さえも無く、ぎりぎりと呼吸が引き絞られてゆくのを感じる。
不自然な態勢に足が縺れ、そのまま仰け反る様にして背後の革張りのソファに倒れこんでしまう。
ぎしっ!と耳障りな音が、酷く大きく響いた。
「私がほんの少し力を込めれば簡単に息絶える――矮小な子供だ」
「離…せっ…ぅ…」
直接耳腔に感じる吐息、低く甘やかな蔑みの言葉、喉を締め上げる冷たい指の感触にぞくりと背筋を震わせ、エマニュエルは必死に戒めを解こうとする。
しかしそんな事では孔明の力は緩まず、逆により一層の圧力が込められた。
圧し掛かるようにして首を締めてくる孔明の、さらりとした髪がエマニュエルに降り掛かる。
仄かに香る、独特の中国香の匂い。
圧力をうけてぎしぎしと鳴る革の匂い。
近付いてくる、死の、匂い。
たまらずぎゅ、と固く瞳を閉じれば瞼の裏がハレーションを起こし、ひくりとこめかみが痙攣する。
「っ…くぁ…っ…あ・――」
制止の声は最早あえかな喘ぎに変質し、口を閉じる事さえままならず銀糸が口端から零れた。
死んで、しまう。
こんな事で。
こんなに簡単に。
何も出来ずに。
父の無念を晴らす事も、家族の仇を取る事も。
何も出来ないまま。
それ程までに自分は。
自分は力無いのか。
嫌だ。
死にたくない。
怖い。
怖い。
怖い。
目の前がゆっくりと暗くなっていく。
抵抗するように張っていた肘が力を無くしてかくり、と折れ――
何時の間にか滲み出ていた涙がころり、と頬を転げ落ちた。

と、突然喉元を締め上げていた手が緩み、
「かはっ……」
肺に、酸素が急激に送りこまれる。
束縛と解放との落差に付いてゆけず、エマニュエルはもんどりうってソファから落ち、まるで跪くように柔らかな絨毯に両膝を付き、げほげほと激しく噎せ返った。
「自分の立場が良く解ったか?『幻夜』」
す、と孔明が膝を折り、自分の前にしゃがみこんだかと思うと――神経質そうな細い指がエマニュエルの頬を撫で上げたかと思うと
「な…っ!げほっ…何をっ…」
指に掬い取られた雫はぺろり、と紅い舌に掬い取られた。
「お前は私が拾ってきたのだ。この髪の一筋から足の爪先まで、私の物」
くい、と前髪が掴まれ、無理矢理に顔を上げさせられる。
嫌だ、こんな姿は。
この男に屈服しているような、姿は。
けれど今与えられた絶対的な恐怖の前に、エマニュエルに逆らう術は無くて。
「故、私がお前をどう扱おうと、私の自由だ」
悔しさに、目の前が歪む。
「解ったら、さっさと今日の報告を続けろ」
先程までの執拗さとは打って変わり、あっさりと孔明がエマニュエルを解放した。
まるで何も無かったかのように、白を基調にしたスラックスをぱたりとはたき、また元の席に戻って。
先程と何も変わらぬ、居ずまいでエマニュエルの報告を待っている。
「僕は…お前の玩具じゃない」
ゆるり、と応じるようにエマニュエルも立ち上がり、未だ掠れたままの声で呟く。
「必ず後悔させてやる――僕をこんな風に扱った事を、な」
頤を支えていた孔明の指が、興味深く何かを探るように、先を促すように、とつとつ、と頬を叩いていた。
「いつか必ず、お前を殺してやる。僕は、本気だ」
云い捨てると、まるで逃げるようで嫌だったが――エマニュエルはくるりと背を向け、部屋を出ようとする。
自分は孔明ほど厚顔ではない。
とてもではないがこのまま、何も無かった事にして報告など、出来様筈がなかった。
少し、頭を冷やさねば。
「面白い」
と、背に声が投げかけられる。
肩越しに見やった策士は、僅かに身を乗り出すようにこちらを見つめていた。
瞳が、本気で面白がっている。
「やれるものなら、やってみるのだな」
「ふざけるな。本気だと…云った筈だ!嘘じゃない!」
「だから『やってみろ』と云っている」
くつくつと癇に障る嗤いと共に、聖なる色を纏った悪魔がまた、立ち上がる。
てっきりこちらに来るのかと身構えれば彼はそのまま窓辺に立ち、こちらに背を向けたまま暫し肩を震わせ。そして芝居掛かった仕草でくるりと振り返った。
「お前は私を退屈させなければ、それで良い」
まるで『心臓はここだ』と云わんばかりに左胸を押さえ、華麗に微笑んで見せる。
その所作に――瞬時、この男には一生敵わないのではないかという絶望が脳裏を過った。
こんな感情さえ凡て読まれているのだろうか。
読まれた上で、愉しがられているのだろうか。
敗北感。
倦怠感。
色々な負の感情が柔らかに、けれど確かに自分を囚えていくのを感じた。
後何年、こんな想いを抱えて生きていけばいいのだろう。
どう頑張っても震えてしまう手で、先刻まで捕らえられていた首筋をそっと抑える。
きっと赫い痕が付いてしまっているだろう其処は早鐘の如き脈を伝えてきた。
「僕は…お前の玩具じゃない…」
先刻も云った言葉を落として、エマニュエルは今度こそ部屋を出て行く。
「忘れるな。お前は私の物。お前をどのように扱おうと、私の勝手だという事をな」
屈辱的な言葉を、背に聞きながら――。


◇◆◇


「見事…」
大怪球ごと宇宙へテレポートした幻夜――否、エマニュエルを見送って、孔明はほう…と屈めた吐息をつく。
これ程までにやってくれるとは思わなかった。
(最期の最後まで本当に…愉しませてくれる)
きっとあの愚かな子供は、自分の意思でこの結末を選んだと思っているに相違無い。
漸く孔明の手の内から逃れたと、安堵の笑みを刷いているかも知れない。
だが――この終結の刻すらも凡て、策士たる己の期待の内。
十年間手元において『育てた』手間を相殺するには至らない『対価』だが、彼は色々と有意義なものを与えてくれた。
BF団に対する人々の絶対的な畏怖然り。
テレポーターに関する詳細な実験結果然り。
それがあれば、きっと近い将来人工的にテレポーターを生み出す事さえ可能だ。
主、ビッグファイアは壮大なる野望成就に一歩近付く。
そして、何よりも。
自分をここまで愉しませてくれるとは思ってもみなかった。
(良い暇潰しになった。…誉めて遣わそう)
哄笑を堪える策士の瞳がきゅう、と細められる。
「手間をかけた割には随分とお粗末な結果だったな!」
と、混世魔王の居丈高な怒鳴り声が、矢のようにびしり、と飛んできた。
見やれば、彼は『傀儡』の横に立ちながら自分を憎々しげに睨みつけていて。
羽扇に隠れ、ククッと嗤いを零すと孔明はそちらに向けて優雅な笑みを作る。
(次の玩具は…この人でも良いかも知れんな…)
樊瑞の実直さは、きっとエマニュエルよりも自分を愉しませてくれるだろう。
あの青年よりも長持ちし、より高いレベルの――『奪う』か『奪われる』かの瀬戸際での遊びを齎してくれるに違いない。
「失敗などと、とんでもない…」
愉悦に濡れた瞳をうっとりと眇め、孔明はぺろ、と舌なめずりした。
予感に、背筋が総毛立つ。
きっと、もっと、これから愉しくなるだろう。
「ねぇ…混世魔王殿…?」
もはや孔明の瞳はモニタを顧みる事は無く。
新たな『遊び』にさんざめく心は既にこの作戦からも離れていて。
ただ、最初で最後の労いを心の内に落とすのみ。
(玩具の役目、長きに渡りご苦労だったな…『エマニュエル』)
青年があれ程までに望んだ、その呼び方で――。













■おわり■






初めてのキリ番。初めての孔幻。相方のたかばちゃんからのリクでした。
エロっぽいけどエロじゃない、精神的●●チックなシリアスという大層恐ろしいリクでした。
タマにはこういう孔明も良いかとは思います。が、十年に一回くらいで良いとも思います。


2003/01/07






目次に戻る。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送