突撃!ラブハート!














孔明はよく困る。
別に困るのが好きだとか、そういう珍妙な性癖がある訳ではない。
どうせなら困るよりも困らせる方が、好きだ。
けれど周りが自分よりも一癖も二癖もある人種ばかりな為、結局はいつも貧乏クジを引かされる羽目になってしまう。
とてもではないが、自分が誉められた生き方をしているとは思っていない。
だが、こんな仕打ちに合う程の事はしていない筈だ。
さりさりと書類の上を走らせていた万年筆をぴたり、止めて深々と溜息を吐く。
その困り具合はここの所、最高潮に達しようとしていた。
(――幾らビッグファイア様の仰せとは云え…『仕事』は選ぶべきだったのかも知れん…)
そう思い始めて早一年。
主命に逆らう事などこれまで考えた事も無かったが、今後は自分の為を思えば少し受身過ぎる現状を考え直した方が良いのかも知れないとさえ感じるようになっていた。
ちらり、孔明は執務机の上の時計を見る。
時刻はそろそろ3時。
孔明をここまで困らせる要因が――災厄が、頼んでもいないお茶を運んでくる時間だった。


「こーうめーい様ーvvvvv」
3時丁度に執務室のドアが勢いよく開いて、艶やかな黒髪の少女が足取りも軽く入ってくる。
歳の頃は十を越えたか越えないか程度の、まだまだ幼さを全面に押し出した風体だ。
将来はきっとかなりの美貌を誇る存在になるに違いない、という可能性を充分に感じさせる素材である。
しかし、その姿を視界に入れる事さえ無く、孔明は書類を処理しながら苦言を零した。
「……ノックくらいなさい、銀鈴」
「ゴメンナサイ、両手が塞がってたので省略しちゃいましたー♪」
だったらどうやってドアを開けたんだ、という突っ込みは策士の口から零れず、こくんと飲み込まれる。
少女の齎す様々な苦悩と比べれば些細な事だ。
『気を付けなさい』と注意をして、孔明は少女・銀鈴が手際よく茶器に『三時のお茶』の手配する後姿を見た。
銀鈴は、かのバシュタールの惨劇の生き残りである。
ただの生き残りではなく、惨劇の原因と名指しをうけているフォーグラー博士の娘だ。
彼女は父親と共に惨劇を逃れ、密かにバシュタール跡地で細々と暮らしていたのだが、色々な経緯を経て今はBF団に身を寄せていた。
そろそろ入団して一年になろうかとしている。
少女の後姿に、そんな過去を思わせる暗い影は付き纏ってはいない。
彼女を『拾ってきた』のは他ならぬ、孔明である。
だが、自主的に連れて来たのかと云えばそうではない。
主たるビッグファイアの命による召還である。
銀鈴は他に類を見ない能力『テレポート』を使える能力者で、その物珍しさに主の収集癖が擽られたのだ。
『ちょっと行って、拾って来い』
もしも一年前、主の宣告を無視さえしていれば。
或いはあの地に残っていたのが彼女の『兄』であったならば。
後悔は先に立たない上に役にも立たない、そう知っているのに孔明はここの所そうやって有り得ない未来を思い描く事が多くなった。
無意識に溜息がまた一つ、落ちる。
部屋に漂い始めた馥郁とした紅茶の香りは決して孔明を容易く癒しはしなかった。
「お疲れですか?孔明様」
その溜息を聞き咎めたのだろう、銀鈴がカップを差し出しながら子供らしい柔らかげな眉を顰めて尋ねてくる。
「…ええ、少し」
銀鈴が傍にいるからだ、とはっきり云えれば良いのだが――少女の機嫌を損ねるのは余り得策では無かった。
ましてや主からも『出来るだけ機嫌を取っておけ』とも云われている。何の事は無い、ビッグファイアでさえ銀鈴を扱い兼ねている故の発言だ。
銀鈴は『アンチシズマドライブ』なる最終兵器の持ち主である。
彼女の父が今際の際に『シズマを止めろ』という遺言と共に遺した3本のサンプル。
地球上のシズマドライブを完璧に沈黙させる事の出来る恐ろしい兵器、と目されているそれがあれば、ビッグファイアの悲願である『世界征服』も随分と容易くなる。
銀鈴の付加価値はテレポートだけではなく、そのサンプルでもあったのだ。
「それはいけませんわっ!」
途端、銀鈴がヒステリックな声を上げてどがん!と両手で机を叩いた。
壊れるのではないかと思う程の音に、孔明は真剣に少女を恐ろしく思う。
何処からそんな力が出るのだ、と。
「お仕事のし過ぎではありませんか?今日はもうお休みになって下さい!ええ、是非そうなさるべきだと思います!」
この年頃の子供の声は妙に甲高く、孔明の聴覚をがくがくと揺さぶった。
実際『いけませんわ!』と云いながら銀鈴が、彼の襟首を掴んで揺さぶっている所為もあるのだが――。
「い、いえ、それほどではありませんから!銀鈴っ」
ぐらぐらと揺れる視界に酔いそうになりながら、銀鈴の暴挙を止めようと孔明は必死に声を上げる。
「……本当に?」
「ええ、大丈夫、です!」
目をしっか、と合わせながら『大丈夫だ』と一言一言区切って云うと、銀鈴は漸く納得したように、それでも何処か不安そうな色を瞳に濃く漂わせて孔明を解放してくれる。
「でも、御無理はなさらないで下さいね。孔明様にもしもの事があったら…私…」
うるうる、と潤んだ瞳を向けられても溜息しか出ない。
これが、仮に妙齢の女性であったとしたら、心は多少なりとも動いたかも知れない。
だが、相手は十歳になるかならぬかの子供である。孔明との年齢差は二十歳ではきかぬのだ。
そんな年端もゆかぬ少女に甘酸っぱい気持ちを抱く程、孔明は酔狂ではない。
もしそんな感情を抱けるようなら逆に幸せだったろうに。
ちょっとばかり常識人なだけに、しなくても良い気苦労をせねばならないのだ。
人の道を取るか、自分が楽に生きる道を取るか。
今のところ孔明は、楽よりは人道を取りたかった。
「ええ、気を付けます。…有難う、銀鈴」
出来るだけ早くこの疲れる状況を終わらせよう、と孔明は無理矢理にこりと微笑んで見せると、銀鈴が淹れてくれた紅茶を含んだ。
これを飲み終えてしまえば、早々に部屋から彼女を追い出す事が出来る、とそう思って。
だが――。
「っ…なに…・…っ」
嚥下した瞬間、ちりりとした痛みを舌に感じた。
と同時に先程の比ではない眩暈が彼を襲い、孔明は手にしていた茶器を取り落とす。
かしゃん、と音がしてカップが割れたようだったが、それを確かめる術さえ無くて。
怪訝しい。
四肢の力が抜けていくようだ。
堪えきれなくなって孔明は、机に突っ伏すように倒れる。
だが、その瞬間さえ彼の頭は不幸にも回り続け、そして一つの嫌な結論を導き出した。
「ぎ…んれいっ……何を…混入た、んですかっ…」
はぁっ…と息をつきながら、喘ぎあえぎ尋ねると、少女はにっこり、と小悪魔的な笑いを向けてくる。
「孔明様ったら無防備なんですからv」
うふふ、と笑いながら銀鈴は、孔明の肩をそっと押して椅子にしな垂れかかるようにさせた。
そして何と、オープンになった孔明の膝に腰を掛けたのである。
しかも向かい合わせになるように。
「レッド様から頂いた超即効性しびれ薬…結構効いてるみたいですね」
愉しげに笑って少女は孔明に顔を近付けてくる。
もう殆ど口唇同士が触れ合いそうな距離に、孔明はじたばたともがきたくて――それすらも出来ない事に涙しそうになった。
一体この少女はどんな躾をされてきたのだろう。
フォーグラ―博士が真実、あの惨劇の原因の張本人で無いとしても、孔明にとってみれば彼は第一級の犯罪者に等しい。
こんな風な存在を世に送り出したというだけで、充分責められて然るべきだ。
「孔明様がいけないんですよ?私がこんなに本気なのに…ちっとも振り向いて下さらないんですもの」
そう、孔明が銀鈴を忌避する理由が、これである。
銀鈴は、父親ほども年の離れている孔明に、恋情…寧ろ劣情と云った方が良いのかも知れないが、ともかく忠誠心以上の感情を抱いているのだ。
拾ってきたその日に『逆プロポーズ』されて以来、事あるごとに想いを打ち明けられ早一年。
最近は徐々に手段がエスカレートしてきたな、と思ってはいたのだが。
まさか薬に手を出すとはさすがの孔明も予測出来なかった。
(レッドめ…後で憶えておけっ!)
査定表にきっちりマイナスを付けるのを忘れないようにしなくては、等と思っていられたのもつかの間。
銀鈴が自由にならない孔明の左手をそ…と取って
「っ…なに…をする…つもりなんですっ…」
その親指を朱肉に埋めさせたかと思うと
「さ、孔明様。…これで私達、倖せになれます」
密かに隠し持ってきたのだろう、書類に無理矢理押し付けさせようとする。
その書類の一番上を見て、孔明は目をひんむいた。

そこに燦然と輝くのは『婚姻届』の文字。

しかも何故か自分の名前と銀鈴の名前を始めとする必要事項がきっちりと明記されており、後は孔明が判をつけば良いだけになっている。
そこに拇印を押させられようとしているのだ。
それが意味するのは、即ち自分と銀鈴の婚姻に他ならない。
孔明はやおら動かない全身の力を振り絞るように、じたばたと暴れ始めた。
「あん、孔明様。暴れないで下さいってばっ!」
これが暴れずにいられるだろうか、いや、無い。
反語を心中で落としながらも、孔明は何とかこの状況を回避する方法を必死で考えた。
これに印をついたら人生の終わりだ。直情的な銀鈴の事、即日役所に提出してしまうだろう。
もっと最悪なのは十傑集やもしかすると、ビッグファイアにさえ報告するかもしれない。
『私、孔明様と結婚しました!』と誇らしげに。
そんな事になったら、もう目も当てられない。
囃し立てられ――ひょっとすると犯罪者宜しく後ろ指を指され――死んだって御免だ。
(い…いかんっ…このまま…ではっ)
じりじりと己の親指を巡っての攻防を何とか制しようと、孔明は腹を括った。
こうなれば最後の手段だ。
今迄策を弄すのに数知れぬ嘘偽りを述べてきた。
それが一つ増えるだけだ、大した事ではないと己に云い聞かせながら。
「ぎっ…銀鈴っ…解りました!」
些か呂律の回りにくい口で、胸元に蟠る温もりに向かって必死に声を上げる。
何事か、というように少女が丸い瞳を向けてきた。
「解りましたから…っ…ちょっと待ってくだ・さい…」
出来るだけ誠実そうに見えるような表情を作ってみせると一旦息を整え、孔明は銀鈴に向けて語り出す。
騙り出す、でもこの際正しい。
「それに、判を…つきましょう」
「!孔明様…じゃあ!」
「但しっ」
ぱあっ!と一気に表情を明るくした少女に、しかし即座に孔明は頭を振る。
「今すぐ、ではありません」
途端に銀鈴が不満そうな表情を露わにし、彼女が己の腕を捕まえている指に力を込めるのが解った。
しかし此処で負けてはいけない。
何せ自分の人生が掛かっているのだから。
「良いですか、何と云っても貴方は年若い。若すぎます。婚姻とはそんなに軽々しく決めて良いものではありません。いつか、相応の年になった時、貴方はこの判断を悔やむかも知れない――」
「そんな事、絶対に!有・り・得・ま・せ・ん!」
「ですから『かも』の話です」
銀鈴がもっと頭の悪い、判断力の無い小娘なら良かったのに。
自分が云う事を素直に受けとめるだけの空っぽな頭の持ち主だったら、もっと簡単に丸め込めただろう。尤も『手駒』の頭が良いに越した事はないのだが。
「銀鈴、私は貴方を大事にしたいんです。解りますね?」
徐々に――即効性だった為、効力が切れるのも早いのだろうか――自由を取り戻し始めた手で、孔明はぽん、と銀鈴の頭を撫でた。
「…はい、孔明様…」
ゆっくりと、銀鈴の指が孔明の腕から剥がれてゆく。
暫く少女は惜しそうに書類と孔明とを見比べていたが、やがて渋々ながらも孔明を解放した。
『大事にしたいんです』という一言が効いているのだろう。
孔明は彼女に見えないよう、にやりと笑った。
「だから、この話は十年後。貴方がお父上の復讐を晴れて遂げ、ひとかどの大人になった暁に再びしましょう。その時までに私もよく考えておきますから、ね?」
そう。
例のドライブさえ発動させてしまえばもう銀鈴には用は無い。適当に放逐してしまえば良いのだ。
かなりあくどい事を考えながら、しかしおくびにも出さずに孔明は云ってのける。
そして――銀鈴は孔明の言を信じたようだった。
「…解りました」
こっくり、とまだ子供っぽいふっくらとしたラインの頤を頷かせる事に成功し、孔明は心の中で快哉を叫ぶ。
「ああ、やはり貴方は聡明ですね。良かった…では、そろそろ退いてもらえますか?執務に戻りたいのですが」
出来るだけ機嫌を損ねぬよう、そう問うと、銀鈴は小さな声で『はい』と云い、ぴょんと孔明の膝から飛び降りた。
軽くなった膝にほ、と吐息を吐き、さて、と気を取り直して親指にべったり付けられた赤いインクを擦り落とし始めた孔明に
「孔明様」
ふと銀鈴の声が掛かる。
「何ですか?」
机の傍に控えていた少女を見やると、その瞳が新たな野望にきらきらと煌いているのが解って――。
「それじゃあ!結婚までにお互いをもっとよく知り合う為、私とお付き合いして下さいっ!」
孔明はがつん、と机に轟沈した。
そう来たか。
これから暫くは銀鈴の持ってくる物は何も口にしないようにしよう。
否、暫くは本部を離れ、隠遁生活を送った方が良いのかもしれない。
いっその事、他の支部に異動願いを出そうか。
様々な事を考えながら、策士は泣き出したいのをぐっと堪え、深い深い溜息をつくのであった。

孔明の受難の日々は、まだまだ続くようである。













■おわり■






もしもシリーズ。銀鈴と幻夜の立場が逆だったら!銀鈴編です。此処までやって良いのか孔明受。
ちなみに兄の方を拾って来ても余り策士様の受難度合いは(私が書くと)変わりません。
色んな意味で御免なさい。


2003/02/21






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