The Last Days of Our Youth |
少女は独り、華を摘む。 広い広い野原にただ独り、唱を口ずさみながら、華を摘む。 「あーかいはーなつーんーで、あーのひとーにーあ・げ・よ」 唱に擬えるかの如く、手にされていくのは赫い華。 まるで血の様に赫い華が、少女の細く白い腕の中に囲われてゆく。 「あーのひとーのーかーみーに、このはなさしてあ・げ・よ」 時折風がどう!と鳴り、少女の髪を揺らしてゆく。 それ以外は――少女を妨げるものは何も、ない。 少女は独り、華を摘む。 ただ一心に、華を摘む。 まるで、祈りを捧げるかのような所作で。 と 「やあ、サニー。ご機嫌だね」 何処からとも無く現れた男の影が、少女の上に差した。 少女は億劫そうに視線を上げ、そして形ばかりの微笑を口元に浮かべて見せる。 「ごきげんよう、セルバンテスおじ様」 はたはたと男の被る被衣(ゴトラ)が風に翻り、少女を包み込もうとするように膨らんだ。 それを手で抑え、男の口唇が人好きのする笑みを模る。 「きついけれど――心地の良い風だね」 強烈に鮮烈な印象を与えるのに――何処か存在が希薄な男を、少女は見上げた。 「ここに座っても?」 云って、男が少女の隣をすいと指し示す。 何処か芝居がかって見える仕草だが、妙に彼には似合っていた。 「ええ、どうぞ。野原は誰の物でもありませんもの」 無感動――その形容が正しいのかも知れない。 少女は眉一つ動かす事無くそう呟き、また手元に視線を落とす。 歳に似合わぬ大人びた口ぶりに、男は苦笑めいた笑いを零して腰を下ろした。 少女は、黙ったまま華を摘んでいる。 男は、それをただ、黙って見ている。 さわさわと、風だけが二人の間を通り抜けた。 「ねぇ、サニー」 沈黙が――どれ程続いただろうか。 不意に男が口を開いた。 一瞬少女はぴくん、と動きを止めるが、またすぐに華を摘む作業に戻る。 「何ですの?」 無視しているのではない、というポーズだけの為に、少女は問い掛けた。 風が、軋る。 少女の子供らしいすんなりとした脛を芝生が擽り、土埃が男の被衣の奥に隠れた瞳を眇めさせた。 「君は――怒って、いるのかな」 質問なのか、確認なのか良く解らない語尾の処理に、少女は漸く手を止め、男を振り返る。 「――いいえ?」 栗色の髪が風にたなびいて、少女の秀でた額に乱雑に振りかかった。 それをそっと手櫛で整えてくれながら、男が『良かった』と笑う。 「心配、だったんだ。君が彼をずっと――あの時から赦していなかったとしたら。この結末を迎えた今尚そうなのだとしたら、それはとても不幸な事だからね」 「――何が不幸で何が幸せなのかは、人それぞれの価値観に拠るものだと思いますわ。でも――有難う御座います」 少し捻くれたような調子で、少女が礼を云う。 まだ人生の酸いも甘いも噛み締めていないような子供の言葉とは思えない程達観した響きは、男の苦笑を誘った。 「心配はご無用ですわ、私はあの人に何の期待も抱いてはいませんでしたから」 少女の瞳が、精巧な硝子細工のように煌く。 そこに潤みを感じる自分は、言葉程割り切ってはいないのだろうかと、少女は不覚に思った。 或いは――言葉以上に達観しているから、絶望を感じているのだろうか、とも。 「私も自由、あの人も自由。ただ、己の心が求める侭に自由に、居るんです。だから――あの人が何を思って、どう行動しようとそれを私が怒る謂れなど――何処にも、無い」 仄暗い光が、一瞬少女の瞳に射し込む。 だが、それもほんの束の間。 「尤も――私ではなくてお母様が怒っていらっしゃるかも知れませんわね。最期まで不実な夫に対して」 「アハ。それはそうかもね」 漸くまろび出た悪戯っぽい少女の言葉に、男の口が一瞬強張り、そしてふざける様に同意した。 恐らくは、云おうと用意した言葉を飲み込んだに違いないけれど。 彼が敢えて口にしなかったように、少女も敢えて追及する事無く、気付かないフリをした。 何とは無しに張り詰めていた空気が、するりと解ける。 「少なくとも、彼を嫌ってはいないという事、だよね?」 「嫌う程知らない、と云うのが正しいのかも知れませんけれど」 「知り合わない方が、嫌い合うよりも良いよ。ずっと、良い」 良い。そんな事は解っている。 本質を知らなかったから、夢を抱く事だって、出来た。 紛いものを見つめて、自分を慰めて。 普通の子供であったなら、それでも良かっただろう。だが、自分は。 「ええ、でも――」 幼子のように現実から目を逸らしている様で、嫌だった。 其処に何が隠れていたのか。 目を覆いたくなる程の醜いものであったとしても、自分は。 「本当は、私――」 知りたい。 逡巡の後、ぽつり、少女の声が揺れた。 男の、予測していたかのような鷹揚な笑みを、ちりちりと旋毛の辺りに感じる。 ひゅう、と息を吸えば、気管支が過剰に震えた。 感情が高ぶっているのか、そう気づいた時。 少女は、行儀良く膝の上に置いていた自分の手の甲に、雨が落ちているのに気付く。 雨――違う。 空は、とても綺麗に晴れている。 ならば、これは。 一粒、また一粒。 落ちるのは、涙。 頬を伝い落ちて、しとどに拳を濡らしてゆく。 堪えきれない、感情の発露。 一度転がり出れば、後は坂を滑るように落ちるだけ。 「私が…私が悪いんです」 膝に置いた手をキツく、爪が食い込む程に強く握り込んで拳をつくる。 少女は自分のついた嘘に気が付いた。 怒って、いるのだ。 この乱れる感情は決して悲しみなどではない。或いはそれが『悲しみ』と同義であるかも知れないが。 目も眩むような怒りに――囚われている。 怒りの行き先は、多分男の問うた『対象』では無いだろうけれど。 「歩み寄らない人だと知っていながら、自分だけが努力するのが嫌で。愛されていないのが解っていたから――だから、逃げた。ずっと、逃げているの」 こうしている事で、どれだけ自分が矮小な存在に見えるかを正しく知っている少女は、俯いて、それだけでは足りぬと云う様にぎゅうと固く目を閉じて、世界を遮断する。 ずっと、そうして生きてきたように。 「君だけが、いけない訳じゃない。サニー、君だけが悪いんじゃない」 男の手がそっと少女を引き寄せようとするかの如く伸ばされ――大仰に少女は震える。 憐憫を誘いたいのでは、無い。 けれど接触の寸前で、その手は潰え、降ろされた。 「知って――います」 触れられない事に安堵――或いは失望――し、少女はゆっくりと顔を上げた。 涙は既に乾いて、濡れた感触は何処にも感じられない。 代わりに浮かんでいるのは、鏡の中に見慣れた色だろう。 其が色の名は、理解と云い、また諦めとも云う。 「けれどもう、あの人を責めても――何にもなりませんもの」 「…そうだね。ほんの少しばかり遅すぎた」 「いいえ、『今』だからこそ、私もこの考えに至ったんですわ。きっと――そうでなければ気付かないままだったと思います」 ふふ、と小さく声を漏らして笑った少女に、男もつられる様にして笑った。 「君は…悲しい程に聡明な娘だね」 良く通る声は、言葉程悲壮感に満ちてはいなかった。 だから少女も微笑む。 『有難う御座います』と賛辞への謝辞を口にしながら。 少女を取り巻く大人達は、皆口を揃えて云ったものだ。 『本当ならばまだ、庇護も、愛情も、一身に受けている筈の年頃だ』 『世界中の凡ての慶事が自分に向けて降り注がれていると盲信して良い筈なのに』 『運命――と云うには余りにも、切ない』、と。 この、目の前の男のように『誉めて』くれた事など、一度も無かった。 その事に対して憎しみを憶えた事は無いが、失望に似た感情を持ってはいたので。 惜しい。 心の底からそう想う。 何故、今になってこの男の本質を知るのだろう、と。 もっと近くにいる時ならば良かったのに。 あの時はまだ自分は幼すぎたし、理解出来る今となってはもう手が届かない。 皮肉なものだ。 いつだって、人生とはそういうものなのだろうけれど。 「ねぇ、サニー」 「はい?」 「君が『話』を受けるのは――彼を知る為かい?」 たわんだ被衣の裾をちょん、と直して、男が問うてくる。 少女は答えを躊躇うかのように、僅かに小首を傾げて 「それも、あります」 そして、頷いた。 「まだ『自分』の道は見えないのです。だから暫くは――ええ、そうして行こうかと」 「そう…」 男が納得した様に頷いて立ち上がるのを、頬に貼り付いた後れ毛を耳に掛けながら、見た。 白の被衣が、猛禽類の羽のように見える。 自由の象徴にも見え、 また強さの象徴にも見える。 凛と立つ彼のその姿は、とても、綺麗だと思った。 「道が見えたら其処で引き返すかも知れないし、それでも歩み続けるかも知れない。先の事は何一つ解りませんし、ひょっとしておじ様方の期待には沿えないかも知れません」 「それで良いんだよ。君の人生は誰の為のものでもない、君だけの為にあるんだから」 少女は容認の言葉に、上げかけていた腰を再び下ろして、男を見上げた。 男は――笑っていた。 少女が覚えている限り、いつだってそうしていたように。 何を考えているのか解らないと専ら評判だった笑みをただ――浮かべていた。 「回り道だとは思われませんの?おじ様は」 「人生に無駄な事なんて、何一つないよ、サニー。何もかもが君を構成する大事な要素だ」 男が縋らせるかのように手を差し伸べるが、少女は首を振ってそれを断わると、すっくと立ち上がって衣服に付着している草きれ達を払い落とす。 赫い華を大事に抱えたまま。 ふと、それに目をやって、思い至ったかのように男が呟いた。 「ああ――そうか、それは手向けの華なんだね。『君』への」 「…ええ」 悪戯が見つかった子供のような顔をした少女は――最早少女と形容するには相応しくない笑みを浮かべて肩を竦める。 「そう…。綺麗だ」 何処かしらほ、とした空気が漂う。 若緑の匂い。 微かに残る、少女の乳臭さ。 男の被衣に焚き染められた、ムスクの香り。 風が、凡てをない交ぜにして、一瞬後には遠くへと運び去っていく。 ここに確かに残るものは何一つ無い、と云うかの如く。 「頑張って」 柔らかな男の声に、少女は曖昧な笑みを浮かべた。 何を対象に云われているのか理解出来なかったのだ。 「誰の為に生きて、何の為に死ぬのか。その答えが解るまで、君は其処にいるんだよ?サニー。君は――君の答えを見つけてから、おいで」 男が腰を屈めて、少女を真正面から見つめる。 その瞳の色。 男の出自に相応しく、砂の色をしている瞳に、不意に少女の胸が熱くなった。 「おじ様は…」 どんなに頑張っても、もう二度と手の届かない人達。 「おじ様やお父様は…見つけられたのですか?『それ』を」 「――ああ、見つけた、よ」 だから、君も。 決して後悔だけはしないように。 口唇だけが動いて、そう告げ、言葉にし難い笑みが自分に向けられる。 それを受けて少女は――華が綻むように泣き笑いのような笑みを浮かべ、抱えていた華を一本、ぺしりと弁ぎりぎりで折ると、男の被衣にそっと添えようと手を伸ばす。 「約束だよ、サニー」 けれど――。 「あ……」 華が、ほとりと芝の上に落ちた。 一瞬前まで確かに目の前に居た男の姿は、もう掻き消えたようにして何処にも無い。 行って、しまったのだ。 さよならさえも云わずに。 「………・…っ…!」 涙が、重力に従順にぱたぱたと地面に落ちる。 腕から、風に乗って華が飛ばされた。 散る、涙。散る、華。散る、自分。 堪えきれず少女はしゃがみ込んで、膝を抱え、泣いた。 解ったような口をきいても、達観したように見せても。 所詮は子供でしかない、と己の至らなさを嘲笑する気持ちがあるが、止められない。 どうしようもない。 どう説明して良いのかも解らないのだ、この感情を。 「あ……あぁあっ……――!」 自分は――彼等に届くのだろうか。 いつかあんな風に微笑んで逝く事が出来るのだろうか。 彼等から投げかけられた問いの答えを手にする事は出来るのだろうか。 まだ、余りにも遠い――遠過ぎて最果てを想像する事すら出来ぬ道程に、少女は独り、泣いた。 枯れてゆく自分を潤すかのように、末期の涙を溢れさせていた――。 かさり、と男に手向けた華が風に揺れて、少女の足に纏わりつく。 弔いの鐘が高らかに鳴り響く。 葬られたのは、自分。 看取ったのも、自分。 けれどそれは死ぬ為ではなく、これから生きる為の法要。 目の前に伸びていた整えられた道を、自分の意思で歩いていこうと決めたが故の弔いなのだから。 少女は独り、華を摘む。 ただ一心に、華を摘む。 まるで、祈りを捧げるかのような所作で。 憐憫。 喪失感。 不安。 懼れ。 焦燥。 種々の想いを紡ぎながら、少女は独り、華を摘む。 広い広い野原にただ独り、唱を口ずさみながら、華を摘む。 『十傑集”サニー・ザ・マジシャン”』の名を抱きながら。 自分の子供時代に手向ける、散華の為の華々を――。 ■おわり■ 静止作戦後の十傑集昇進確定サニーさん(捏造)。ベティとは決して直接対話出来ないだろうとセルを召還しました。しかし個人的には親馬鹿ベティさんの方が好きです。この親子に必要以上に夢を見ているようです。すみません。 2003/02/01 |
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